浅利頼平☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

数代にわたって秋田氏に、圧迫されてきた比内浅利氏。
 

安東愛季には、当主・浅利勝頼を謀殺され、

嫡子の頼平は津軽為信を頼って浪々の身となる。
 

後、為信と実季の妥協によって比内へ帰還したが、

身分は秋田氏配下になってしまった。
 

しかも、時は豊臣秀吉が奥羽まで従えた、ちょうどその頃。
 

中央に秋田氏配下と認められてしまい、独立の機会は遠のいた。

さて、全国の大名には豊臣への奉公義務があったが、

秋田からは杉材や鉱物が納められていた。
頼平も当然負担していたのだが、ある日これが馬鹿らしくなった。
「せっせと太閤に貢納しても、全部実季の功績になるだけだ。
なんで仇敵の手柄を稼がなきゃならんのだ。」
 

頼平、豊臣への負担分をごまかすようになった。

サボタージュである。
 

当然、すぐに実季にばれた。
「ほう、津軽の顔を立てて戻してやったが、そういう態度なら容赦はいらんな。」
 

実季は税金の「強制徴収」を始める。
比内へ進攻し、浅利軍を攻撃、ついでに村々から略奪を行ったのである。

浅利方は、後に被害を訴えるため報告書を作るが、それにはこう書かれている。
「この村では家が七戸しかなくなった。

以前は二十戸の村だった。秋田軍が撫斬、放火した。」
「この村は十五戸あったが、今はもうない。

荒れている。秋田軍が放火した。」

秋田・浅利紛争は、豊臣政権の法廷に持ち込まれるが、

実季勝訴の判決とともに、頼平は急死した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 秋田城介・安東実季

 

 

 

 

 

ごきげんよう!