秋田実季は、
天正18年の秋、小田原征伐に下向した関白豊臣秀吉にはじめて見参した。
明けて19年、九戸の乱が起こると、
秀吉政権の催促に従い馳せ向かい、城を攻めた。
朝鮮の役が起こると、これもまた催促に従い、
軍勢を率いて筑紫の陣に馳せ来た。
いずれの時であったか、秀吉は実季に、
「お主の所領はいかばかりか?」
と尋ねた。
実季はどう思ったのか、僅かに、
「租入、4,5万石ほどでしょうか。」
と答えた。
「であれば、軍の賦役はその額に従うべし。」
秀吉はそう仰せ下した。
これより秋田領は5万石とされたが、実際には20余万石あったとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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