すったもんだの末に、
南部家25代当主として家督を相続した南部信直は、
北信愛をそばに呼びこう語った。
「天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、
織田信長様だ。
諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く。
私も参上こそ叶わないが、土産を持たせて使者を送りたい。
だが、この遠い糠部の地、なかなか思うようにはいかない。
それに、信長様に我が家の由緒を示したいが、
代々の由緒を記した巻物(系図書)も火災によって、
失ってしまっていてなぁ……。」
天文18年(8年とも)に、当時の居城であった本三戸城は、
晴政に妻を奪われた、家臣の赤沼備中によって放火され、
南部家相伝の証文・系図・家宝などはことごとく燃えてしまっていた。
信直はどうしたものかと思案していたが、
そこへ北信愛が、
「御屋形様、これを……。」
と、差し出した。
それはまさに焼けて無くなった筈の系図書だった。
「どうしたのだこれは?!」
「はい、御城炎上ののちに、晴政様は家中に自家の系図を提出させ、
その時集まった30巻余りをつき合わせて抜きだし、
御前で清書しました。
私の父は文筆の心得があったので、その手伝いを任されました。
その下書きを、晴政様は私の父に賜り、その後、父はこれを私に譲ったのです。」
そして信愛はそれから延々系譜の内容について詳しく説明した。
「――ということで、そのほかにも筆にも及ばぬ言い伝えは数多ありますが、
それは追々話すとして、あらましはこのようなものでした。」
信直の喜びは、ひととおりではなかった。
「よし、こうとなればさっそく信長公へ使者を登らせよう! 誰が良いと思う?」
「このたびの使者は御家の一大事のことです、私が行きましょう。
良い伝えを持って帰りますので、安心して待っていてください。」
と、信愛は御家の由緒を荒々と書き抜いて、
献上するための馬三頭・大鷹五羽を持って糠部を出立した。
時に、“天正10年 6月中旬”のことだった。
北信愛は順調に進み、日本海側に抜けて下越後へ着いた。
が、そこで、信長公が京都で逆臣のために果てたことを風聞に聞いた。
不安に思った信愛は、しばらくその所に逗留して情報を集めていたが、
風聞が真実だと知ると、今は上洛しても詮無しと、力を失い帰国したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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