藤代御前☆ | げむおた街道をゆく

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津軽家の弘前城からほど近い所に、

藤代という村があり、
そこの大きな館の女主人を人は藤代御前と呼んでいた。
 

藤代御前は名高き美人として、近隣の地に広く知られていたという。
 

津軽為信も、かほどの美人ならば是非とも側に置いておきたいと思い、

為信、「側室として来て頂けませんか?」

彼女を側室に誘った。

御前 「津軽様ならお断りします。」
為信 「え?」

そして、拒絶された。
 

実は藤代御前、夫を津軽為信に殺された美貌の未亡人である。

断わって当然の立場だった。
 

だが為信にとっては所詮は過去の思い出である。

為信はくじけず、二度目のプロポーズへと移る。
為信が用意したのは、具足を身に纏った足軽達だった。

皆、手に得物を持ち、館を攻囲している。
どうやら為信、実力行使に出たらしい。
 

それに対し体を狙われている藤代御前はというと、

妹と家来達と共に武器を手に館に篭もった。
藤代御前はその美貌もさることながら、

武勇にも優れていたと伝えられている。
だがいくら武勇に優れていたといえど、限界がある。

家来達も多くが戦場に倒れ、
いよいよ藤代の館が津軽の手により陥落しようとしたその時、

御前、「津軽の女になるくらいなら、戦って死んでやりましょう!」

藤代御前は門を八の字に開放し、僅かな手勢を連れて打って出て、
死力の限りを尽くして暴れまわった後、討ち死にを遂げた。

藤代御前が死んだ後、津軽為信は後悔するどころか不安な日々を過ごしていた。
実は藤代御前、死に際に、

御前、「津軽為信、この恨みは忘れんぞ! 貴様だけではなく、

    末代にいたるまで、津軽を祟りまくってやる!」

と言い放ったのだ。
 

南部から独立して大名にまでなったのに、祟りで御家を滅ぼされてはたまったものではない。
 

しかも、運よく為信の代の呪いを乗り切ったとしても、

末代まで祟ると藤代御前は公言仰せであった。
 

どうにかして防ぐ術はないものか――――と悩みに悩んで、

時は慶長十二年まで流れゆく。
京に居た為信も、もう死期が近い。

これは流石に御前の呪いではないだろう。

為信、「わしが死ねば、恐らく津軽家は藤代御前に祟られようぞ。

    だが、わしもただでは死なん。

    逆に、わしが奴を祟ってくれよう。」

晩年の為信、実にいい事を閃いたものだ。
 

藤代御前の墓は、岩木川に面する土地にある。

為信は、その御前の墓の上に、
自分の墓を造れと左右に命じた。

為信、「わしが、死してなお藤代御前を上から押さえつけてやろうと言うのよ。」

こうして為信は、念願の藤代御前と永久に眠る事――――ではなく、

無事に津軽家を祟りから救う事ができたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 天運時至れり・津軽為信、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!