津軽家の弘前城からほど近い所に、
藤代という村があり、
そこの大きな館の女主人を人は藤代御前と呼んでいた。
藤代御前は名高き美人として、近隣の地に広く知られていたという。
津軽為信も、かほどの美人ならば是非とも側に置いておきたいと思い、
為信、「側室として来て頂けませんか?」
彼女を側室に誘った。
御前 「津軽様ならお断りします。」
為信 「え?」
そして、拒絶された。
実は藤代御前、夫を津軽為信に殺された美貌の未亡人である。
断わって当然の立場だった。
だが為信にとっては所詮は過去の思い出である。
為信はくじけず、二度目のプロポーズへと移る。
為信が用意したのは、具足を身に纏った足軽達だった。
皆、手に得物を持ち、館を攻囲している。
どうやら為信、実力行使に出たらしい。
それに対し体を狙われている藤代御前はというと、
妹と家来達と共に武器を手に館に篭もった。
藤代御前はその美貌もさることながら、
武勇にも優れていたと伝えられている。
だがいくら武勇に優れていたといえど、限界がある。
家来達も多くが戦場に倒れ、
いよいよ藤代の館が津軽の手により陥落しようとしたその時、
御前、「津軽の女になるくらいなら、戦って死んでやりましょう!」
藤代御前は門を八の字に開放し、僅かな手勢を連れて打って出て、
死力の限りを尽くして暴れまわった後、討ち死にを遂げた。
藤代御前が死んだ後、津軽為信は後悔するどころか不安な日々を過ごしていた。
実は藤代御前、死に際に、
御前、「津軽為信、この恨みは忘れんぞ! 貴様だけではなく、
末代にいたるまで、津軽を祟りまくってやる!」
と言い放ったのだ。
南部から独立して大名にまでなったのに、祟りで御家を滅ぼされてはたまったものではない。
しかも、運よく為信の代の呪いを乗り切ったとしても、
末代まで祟ると藤代御前は公言仰せであった。
どうにかして防ぐ術はないものか――――と悩みに悩んで、
時は慶長十二年まで流れゆく。
京に居た為信も、もう死期が近い。
これは流石に御前の呪いではないだろう。
為信、「わしが死ねば、恐らく津軽家は藤代御前に祟られようぞ。
だが、わしもただでは死なん。
逆に、わしが奴を祟ってくれよう。」
晩年の為信、実にいい事を閃いたものだ。
藤代御前の墓は、岩木川に面する土地にある。
為信は、その御前の墓の上に、
自分の墓を造れと左右に命じた。
為信、「わしが、死してなお藤代御前を上から押さえつけてやろうと言うのよ。」
こうして為信は、念願の藤代御前と永久に眠る事――――ではなく、
無事に津軽家を祟りから救う事ができたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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