島津義弘公は、
関ヶ原御退き口の砌、ある山中へ差し掛かった折に、召し上がるものが全く無く、
従臣一同当惑した。
中馬大蔵は夜に入って白坂大学坊と共に山中を忍び出て、
付近の民家に押し入り、若干の餅を徴発して来た。
公は手ずからその餅を切って、悉くこれを従臣たちに分け与えた。
これを見て御側衆より、
「殿様、お召し上がりください。」
と申し上げたが、公は頭を振って、
「私には未だ干飯も残っている。各々などは私を大事に思ってくれているからこそ、
このように付き従って帰国するのであるから、
もしも各々が草臥れては私が難渋をするのだぞ。」
と仰せになられ、如何に御勧め申し上げても、この餅の一切れも召し上がらなかった。
大蔵を始め御供の面々は、有難さに涙に掻き暮れ、
暫くその頭を上げることが出来なかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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