島津義弘公が、高麗在陣の砌、綿入れ二枚を重ね着していた者をご覧になって、
「男児たるものが、そのように大着をするものではない!」
とお叱りに成られた。
そのため出征の将士たちは、皆綿入れ一枚で羽織も着ず寒さを凌いだそうである。
また寒中滞陣の砌は、陣小屋に大囲炉裏を長く拵え、
それに火をいっぱいに焚き、何れも両方より足を差し出して、
火に当たりながら夜を明かすのを例とした。
義弘公もこの時ばかりは、
味方の雑兵と一緒に打ち交わって火に当たられ、
更に主従の区別も無いほどであった。
加藤清正がこれを聞いて、
「薩州は平生主従の区別無きまで親しみ合うが、
一旦表立つ場合には、
君臣の礼儀がしっかりと立ち分かれる事、実に以て感心の外無し。」
と誉めたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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