賤ヶ岳の戦いの折、堀秀政の陣へは、佐久間玄蕃(盛政)の進出した中しきり方面、
並びに賤ヶ岳方面より、加勢助力の求めがあった。
このため、秀政はすぐに兵を出そうとしたが、
これを堀七郎兵衛(利宗、あるいは道利)と云う者が、
抑えて申し上げた。
「勝家の柳ヶ瀬の陣から玄蕃の陣に向けて、
使いが切々と往来しているのを確認しました。
これは、玄蕃の行った中入から、早く引き取れと伝えているのだと考えます。
もし玄蕃が中入を引き取るとすれば、もと来た道を帰らず、
中しきりを突き抜けて帰陣しようとするでしょう。
然らば我等はこれと一戦しなければならない場にあります。
また玄蕃が引き取らないのなら、勝家が必ず、
本軍を中しきりに押し寄せて合戦を始めるでしょう。
この2つ以外の方針はありえません。
ですのでここで我が兵を分散すること無く、その節を待たれるべきです。」
「しかし玄蕃が引かず、勝家も出てこなければどうするのか。」
「その時は勝家の運がここに尽きた、という事です。」
そう言ったが、はたしてその通りとなった。
この堀七郎兵衛は、かつて明智光秀との山崎合戦の際、
堀尾吉晴の軍が天王山に駆け上がり、
秀政の軍もその後に続こうとしたのを止め、
「山上の味方は崩れるでしょう。然らば彼に続いては供崩れとなります。
別の場所より登るべきです。」
秀政はこれを聞き入れ別の場所から登ったが、はたして先手の堀尾の軍は敗れた。
しかし別場所より上がってきた堀軍が横槍を入れる形となり、大利を得た。
これも七郎兵衛の策略であった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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