武田家家臣に、多田新蔵という剛勇で知られた若者がいた。
彼はあるとき喧嘩沙汰を起こしたが、
新蔵の父は武勇忠節名高い多田淡路であったため、その際は許された。
にもかかわらず、
その後、新蔵は甘利同心の福田という者との間で再び喧嘩沙汰を起こしてしまった。
その仔細はこうである。
福田は、酒に酔っ払った様子で自身の下女を町中に立たせ、
往来の者に触らせ、人の女に手を付けたといって打ち伏せて、
刀脇差を奪い取ろうとした。
日暮れ時で、よく見えなかったたため、福田はその相手が新蔵だと気付かないまま、
逃がしてたまるかと、刀を抜いて新蔵を追いかけた。
新蔵はいろいろと言って釈明しようとしたが、福田はこれを許さず新蔵に切り付けた。
そこで新蔵は、刀を抜き、一刀にて福田の頸を打ち落とした。
この件は当然問題となり、山県三郎兵衛(昌景)を奉行として詮議が行われた。
新蔵は、
「喧嘩の始終を、目撃していた町人を召し寄せて、拷問して聞いてみてください。」
と言う。
呼ばれた町人は、拷問を受けるまでもなく見たままを話したので、
新蔵は赦免され、福田は切られ損となった。
それどころか福田の行いは強盗であるとされ、福田の女房まで磔に処せられた。
山県は、普段は新蔵のことを嫌っていたが、
少しも私心を交えることなく判断なさったため、このような結論となったのだった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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