今や討死の時至れり☆ | げむおた街道をゆく

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長篠の戦いの時。

山県昌景の進軍を契機に続々進軍した武田勢であったが、

いずれも織田・徳川両勢に柵内から鉄砲を撃ち掛けられ多くの死傷者を出し苦戦した。

勝頼本陣中軍の先手・内藤修理昌豊の1千余騎は先駆けし、

逍遙軒信綱(武田信廉)らも続いたが皆鉄砲に当たって引き退いた。

この勢いに乗じ柵外に出た佐久間信盛と滝川一益だったが、

佐久間は手勢を立て直した馬場信房によって柵内に追いやられた。

白地に黒い山道の旗を押し立てる内藤はその後へ引き返し、

滝川の3千余騎の勢の中へ突いて入り、
滝川勢は散々に突き立てられて、柵内へ逃げ入った。

 

この様子を御覧になった信長卿は柴田修理亮(勝家)・丹羽五郎左衛門(長秀)・木下藤吉郎(羽柴秀吉)に命じられ、

この3人が千5百余騎で森長村の方から横に打って掛かった。

内藤はこれを見て馬の鼻を立て直し、

白地に胴赤の旗と御幣の馬印を真っ先に進めて打って掛かった。

(中略。山県昌景が柴田らを撃退するも討死)

勝頼も歯噛みをなして命じ、勢を進めて掛かったが激しい戦闘となり、

典厩(武田信豊)・逍遙軒を始めとして原隼人(昌胤)・小幡上総・小山田兵衛・望月甚八郎・安中左近・甘利三郎五郎らが諸軍を進めて打って掛かった。

 

こちらでは織田方において佐々内蔵助(成政)が、

「内藤修理の備は浮き立って見えます。一攻めに攻めては如何でしょう?」

と申した。

 

信長卿は、「もっともだ。」と許し給う。

(中略。その時、早くも徳川勢と武田勢が激突し互いに死傷者を出す。武田信豊が切り立てられ退くと、信長は総攻撃を命じて武田勢総敗軍となり勝頼は敗走、武田諸将討死)

内藤は、「今や討死の時至れり。」

と、残兵百余人を選りすぐって半途より引き返し、

徳川家御本陣目掛け打って掛かった。

 

これは御大将(家康)と直の勝負を決せんとする心と察した本多平八郎忠勝が、

蜻蛉切の槍を振るって内藤と御本陣を懸け隔てて戦えば、

榊原小平太康政・大須賀五郎左衛門康高も中を破られまいと弓鉄砲の足軽を先に立て、

射立て撃ち立て決戦した。

 

内藤は手勢を皆討たれ自身も鎧に立つ矢は蓑毛の如く。

「流石は信玄の家で随一の勇士」

と呼ばれた内藤が死狂い獅子奮迅の怒りをなせば、

近寄り難く見えたところに、流れ矢1つが飛んで来た。

 

内藤はこれに当たり馬からたまらず落ちたものの、

また起き上がって槍を押っ取り敵を突こうとするところを、

朝比奈弥太郎泰勝が槍を付けてその首を取った。

 

泰勝はこの高名により徳川家の御家来に召し加えられたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。  

 

 

 

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→ 武田の副将格・内藤昌豊、目次

 

 

 

 

 

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