武田信玄家臣・内藤修理(昌豊)の、妻の母が死去した時のこと。
この母が一向宗であったため、
甲州の内とどろきという寺の一行坊主が葬式のため尽く参った。
そこで、内藤は他の宗派と同じようにいかにも見事に死者の膳を申し付けたのだが、
これに対し一向宗の出家達はこのように申した。
「我が宗の習いですので、御阿弥陀様に良く食を進上いたしますれば、
他には要らぬことです。」
内藤は尋ねた。
「それはどうして、そのような法外な立場を取るのでしょうか?」
これに一向宗の上人。
「我々にとって、阿弥陀こそが肝要なのです。外に食を供えるというのは、
迷いの心です。
一向宗から見れば、他の宗派のやり方こそおかしく見えるのです。」
「しかし、亡者が飢えたらどうするのですか?」
「阿弥陀様にさえ食を供えれば、それが衆生の施しとなるのです。」
これを聞くと内藤は手を合わせて、
「さても殊勝なことです。他宗と違って面倒な事のないご宗旨ですね。
一尊への施しが万人に渡るとは、
珍しくも重宝なる一向宗ですね。」
そう褒めると上人も喜び、
「ええそうです。我が宗ほど殊勝なものはありません。」
などと自慢した。
すると、内藤はこの上人に膳を据えたが、残りの百人余りの坊主には、一切膳を据えなかった。
坊主たちがこの待遇に、
「これは一体どういうことですか!」
と抗議ししてくると、
内藤は答えた。
「おや、言っていることが違うでは有りませんか。上人にさえ膳を参らせれば、
その他の坊主たちも腹一杯かと存じ、このようにしたのです。」
これには坊主たちも詫び言して、亡者にも膳を据え、
皆の坊主たちにも他の宗派のように取り計らった。
これは内藤修理の理屈のため、一向宗が恥をかいたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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