武田信玄は、喧嘩の始末について喧嘩両成敗を採用しようと、
重臣たちと相談した。
この時、猛烈に反対したのが内藤修理だった。
「両成敗との事ですが、
恥をかかされて我慢するような者は役立たずでありましょう。
そのような法があっては家中に男道をもつ侍がいなくなる。
他家では弓矢の道を推奨しているのに、
武田家だけ喧嘩防止のために、男道が失われてしまいます。
あなた方はどうかわからないが、
私は自分の子に男道をくじいてまで我慢しろとは言えない。
なんでもかんでも我慢となれば臆病侍が増え、口論や打擲ともなろう。
口論に負けるくらいは我慢するかもしれない。
たいした害はないのだから。
しかし、殴られでもしたならば、たとえ一族を串ざしにされようとも、
所構わず、すぐさま殴った相手を殺すほかはござらぬ!
それでも両成敗となって、自分の罪なき肉親が裁かれた時、
武田家に忠誠を尽くせるだろうか。
あなた方はどうお考えか知らぬが、私は尽くす事はできない。
ゆえに恐れながら申し上げますが、私は喧嘩を仕掛けた者を罰するほうが、
家中の風紀も引き締まると考えております。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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