ある時、曾根内匠が、内藤昌豊に武田家がいかにすごいかを語ったことがあった。
「村上義清は信濃五郡の主で、当家は甲斐四郡とまことに小郡でした。
しかも村上は当家より人数も多かった。
にもかかわらず何度も戦に負けて、ついには国を捨てて越後に逃げていきました。
諏訪頼重、小笠原長時、木曾義昌、上杉憲政らと幾度も戦いましたが、
いつも当家の旗風に靡きました。
北条氏康、上杉謙信とも何度も戦いましたが、当家の戦いぶりは凄まじく、
今や関東で当家の太刀風に並ぶ者はいません。まさに日本無双というべきです。」
これを聞いていた昌豊は、呆れてこう言った。
「あなたは本当に幼いことを言う人だ。いま中国には毛利元就という大将がいる。
その人物ははじめ七百貫より起こり、八ヶ国持ちの大内義隆、七ヶ国持ちの尼子晴久、
五ヶ国の主である大友義鎮と何度も戦って打ち勝ったのだ。
村上諏訪小笠原と戦って勝つよりも遥かに勝っているではないか。
しかし案ずることはない。
世間では当家の武勇ほど毛利の武辺は話題になっていないぞ。
国がどれだけ広くとも、どれだけ多くとも、戦の勝敗は志ひとつで決まるものだ。
村上の五郡は大内の八ヶ国には及ばずとも、戦士の数は八ヶ国よりも多かった。
当家の四郡は毛利の十三ヶ国に比べれば大海の一滴にすぎないが、
死を惜しまぬ士は十三ヶ国よりも盛んだ。
つまり、当家は毛利よりも上に立っているのだ。」
曾根を戒めるかと思ったら、もっと大きく出たでござる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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