蒲生源左衛門郷成は、幼い頃より父勝則とともに柴田勝家に仕えていた。
童名は坂小判。幼少の頃より剛の者の気質あり。
その暴れぶりはやがて柴田勝家がもて余すほど。
ついに柴田家を追い出され、同族である蒲生氏郷を頼った。
氏郷のもとで次第に頭角をあらわし先駆けの功名を数多立て、
天正十八年氏郷が会津に置かれると知行五万石を宛がわれ、
名実ともに蒲生家の重臣となったのである。
源左衛門の名は、太閤秀吉公から頂いたものである。
源左衛門には、五箇条の書き置きが現代に伝わっている。
・武家ならば弓馬、槍、兵法を朝暮の掟と心掛けよ。
しかし、武道を上手にやろうとする必要はない。
・今の武士はおごり、その本分を忘れている者が多い。
武具や馬具を大切にせず、戦場での立ち回りも学ばず、
うわべの都合のよい理屈ばかりを好んで、
ことに近年は茶の湯などということに金銀を浪費しているが、
蒲生家の者たちはまずそんなことは慎んだほうがよい。
・主君に忠、親には孝を忘れぬように。
下の者へのあわれみを忘れぬように。
主となるも家来となるも天道である。
・仲間が落ちぶれたなら我が知行の十分之一をもち養うように。
・身の程を知れ。
それぞれの身の程に合った立場を保つことが大切である
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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