大納言様(前田利家)も折々御話になり、
戸田武蔵殿(勝成)や猪子内匠殿(一時)なども御話になったことである。
信長公の御時代、柴田修理殿(勝家)、森三左衛門殿(可成)、坂井右近殿(政尚)は、
各々が意気盛んな言葉を申した武辺者であった。
鉄砲の玉が撃たれ来る時、柴田は立ちながらおられて、
「軍兵どもはかがむな!当たらぬものぞ!」
と、御申しになった。
一方では、三左衛門殿と右近殿などは、
「柴田じゃというても絶対に当たらないなんてことはない。
武者というものはかがむ時はかがんで、鉄砲や弓矢に当たらぬようにし、
攻め掛かる時は押し開き、何にも構わず掛かるものである。」
と、申された。
これに大納言様は、三左衛門殿や右近殿などの言い分は、功者であると仰せられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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