太閤秀吉の九州攻めの際、安国寺恵瓊が吉川元春の陣を尋ねた。
元春は折しも病気中であったため出雲、石見の諸将も多く来ていた。
そこで元春と恵瓊を中心に諸将達が軍談義をしたが、
恵瓊が、
「島津はここ数年、我が物顔に九州を暴れ回っていたが、
来春にでも太閤殿下がご出馬されれば、たちどころに一門根絶やしとなるだろう。」
と言うと、一座の諸将も同意した。
所が元春のみが異議を唱えた。
「いかに太閤殿下と言えども、そう簡単に島津を根絶やしには出来ぬ。
天下は未だに殿下の手中に納まり切れてなく、
このような時期に何年も大軍を九州に置くことは出来ない。
かと言って島津には名将が多く、地の利もあるのだから短期決戦でもそうは勝てまい。
しかし島津とて完全に勝ちきる事は不可能なのだから、
一度決戦してから最低薩摩、大隅を確保するための和平交渉に出るだろう。
太閤殿下も島津は仇敵ではないのだから、今までに切り取った国を返せば、
根絶やしになどせず、薩摩大隅の領有を認めてやるに違いない。」
結果的には元春の予想した通りになり、恵瓊達は元春の深謀に大いに感服したと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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