1569年の事。
豊前立花山城主・立花鑑載が高橋鑑種と共に毛利方に寝返り、
これを好機と毛利氏は北九州へ兵を進めた。
ところが戸次鑑連(後の道雪)の猛攻により、
毛利の後詰めが到着する前に落城してしまい、折角の足がかりを失ってしまう。
援軍を組織していた吉川元春と小早川隆景は目的を変更し落城した立花山を攻撃。
これを再奪取する事に成功する
・・・が、時をほぼ同じくして山陰の最前線、出雲で尼子氏が挙兵。
元就は出征中の元春に尼子残党の鎮圧を命じた。
これに対して元春は、
「この状況では帰る事はできません。尼子の事は父上にお任せします。」
と断りを入れ、豊前に腰を据えた。
ところが事態は悪化する。
周防を追われた大内氏が大友氏の援助によって挙兵、
元春と隆景は腹背に敵を抱えることになってしまった。
挟撃されてはひとたまりもない。
元就の指示を断り立花山に拘った元春も仕方なく退却する事になった。
元春は殿を勤め夜陰に乗じて陣を払おうとするも大友方はこれを察知。
諸将は追撃に掛かる・・・はずだった。
ところが大友勢は動かなかった。
旗指物を乱すこともなく整然と退却する吉川軍を見た戸次鑑連が制止したのだった。
これによって元春は悠々と退却し、無事に帰還することに成功した。
後にこの顛末を聞いた元就は、
「そのように整えて退却するとはなんと見事な。
世に知られた新田義貞の矢矧の橋を彷彿とさせるようだのう。」
と褒めたそうだ 。
注・ 多分「矢矧の橋」は梅松論の天竜川撤退の話と何かが混同してると思われる。
意味自体は単に新田義貞のような立派な大将になったもんだなーってな具合だと思う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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