第三次川中島の戦いで、
上杉謙信は勝敗がつかないので、武田信玄に和解を申し出た。
両将は千曲川の両岸に腰掛けて対面する手はずだった。
馬に乗って岸までやってきた謙信は、
「のろまと思われたくない。」
と思い、さっと馬から降りて床几に腰掛けた。
ところが信玄はというと鞍を直すような仕草をして馬から降りない。
「苦しからず。景虎殿、馬に乗られよ。」
信玄の言葉に怒った謙信は、馬に乗って帰ってしまった。
謙信の使者がやって来て言うには、
「わが家は鎌倉権五郎景政から梶原景時まで五代、
それから代々続いて為景、景虎となる。
頼朝公の富士の巻狩りのときは頼朝公の次に梶原、武田はその次だった。
それに今は上杉で、関東管領だ。
そちらの態度は無礼ではないか。」
とのことだった。
それに対して信玄は、
「梶原は頼朝公とりたての家来、武田は将軍家のお相伴役だ。
機会があればどんな身分でも君主の側に近づけるのは、
今も昔も変わらないことで、それが家の系譜にはならん。
上杉憲政は悪政が原因で天に見放され、北条氏康に敗れて嫡子を捨てて越後に逃げた。
そんな憲政から管領職を譲られたのが、景虎であろう。
わしに無視されたなどといって腹を立てるのは無分別である。
堪忍の二字を分別することだ。」
と言い返した。
いよいよ謙信は怒り、また合戦とあいなった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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