明智光秀が、渡り奉公をしていた頃のこと。
三河牛久保の牧野右近大夫のところに仕えた時、光秀の知行は百石ほどであった。
光秀は傍輩の中野某に語って、
「侍の行末はお互い分からぬものだ。もし私が一城の主になったならば、
被官も欲しいことであろう。
そうなった時には、貴殿は頼もしい人なので私のところへ呼んで城代にしよう。
貴殿が立身したなら、その時は私もまた被官となろう。」
と約束した。
そして後に丹波を拝領した時、光秀は中野を呼んで亀山の城代とした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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