上杉謙信の死後、養子の景勝と景虎が争った御館の乱。
景虎への救援として、北条氏政、武田勝頼が援軍を出すと一報が入ると、
景勝はこのままでは滅亡疑いないと分別し、
勝頼の出頭人である長坂長閑、跡部大炊が欲を構え、
万事に礼物を取り賄賂にて事を済ますという話を聞いて、
勝頼に対して手を入れ、長坂長閑・跡部大炊を頼んだ。
謙信が貯め置いた金子を取り出して、長坂、跡部に二千両づつ与え、
勝頼に対しては一万両を贈り、その上で、
『縁者と成る事を仰せ付けられれば、景勝は勝頼公の旗本と罷り成ります。
東上野は少しも残らず勝頼公に差し上げます。』
そう伝えてきたので、長坂・跡部は勝頼にこう申し上げた。
「信玄公が御他界される前、天下に赴く為として、
支度のための金子を調達するため、
後家や出家の妻にまで税金を課しましたが、
その時集まった資金は漸く7千両ばかりでした。
今、何事もない所で1万両の金子を集めることが出来れば、
勝頼公のご威光は、信玄公の十双倍に増すことでしょう。
その上景勝は起請を提出し御旗本となり、
未来永劫、ご無沙汰申し上げないと誓っています。
さらに東上野全部を手に入れられるというのは、大いなる徳分です。
景勝には、信玄公御在世の時、長島の一向宗に約束していた、
お菊御寮人を、越し参らせるべきでしょう。
また、いかに小舅だからといって、景勝と対立している三郎景虎が勝つ事になれば、
彼の兄である小田原の北条氏政は大佞人であり欲の深い大名ですから、
越後を取り、その後は勝頼公も退治しようと企む事、疑いありません。」
この進言により、勝頼は景勝と和平を結び、景虎を見殺しにした。
これに武田家領内の侍達は大小に及ばず、
町人、地下人、長袖の出家衆までこのことを聞くと、
『武田の御家御滅亡疑いない。
義理を違え、きたなき欲を構えて金を取り、卑怯なる仕方、
何につけても一つとして良いというべきところがない。
長坂長閑・跡部大炊両人ながら分別なく礼金を取り、
義理も恥も知らず、後々のことも考えず己が欲得ばかりに耽り、
このように悪し意見を申し上げたのに、それを良いと思し召し、そ
れに同意するのは、これこそ勝頼公御滅亡の基である。」
そう、大小・上下共に沙汰したのである。
この年の暮れ、
甲府の三日市場という日市の立ち辻に二首の歌を詠んだ落書が立った。
無常やな 国を寂滅する事は 越後のかねの諸行なりけり
金故に まつきに恥は大炊助 尻をすべても跡部なりけり
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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