勝頼が兵を用いることの意味を☆ | げむおた街道をゆく

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勝頼の代に至って、武田の威が衰えたのは、

勝頼が兵を用いることの意味を理解していなかったためである。
 

勝頼は下條越前(信氏もしくは信正の事か)に信濃飯田城を守らせていた。

士卒合わせて4,500人の頭であった。

織田信忠がこれを攻めるという時、

勝頼は小幡因幡(信定か)に命じてその加勢とした。

因幡は小幡尾張(信貞)の嗣子にて、五百騎の将である。

この加勢の時も、二百騎あまり、総軍二千ばかりの人数であった。
 

そして小幡因幡は大身であるがゆえに下條越前の下知を受けず、

下條越前は本城の守将である故に小幡因幡の指図を用いず、

互いに不和となった。

 

因幡は自分の従兵を引いて遂に城を出たため、その騒動により守備は崩壊し、

士卒は半ば戦う前に離散して、飯田の城は陥ちたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 武田勝頼の誤算、目次

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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