三増峠で、馬場信春殿は小勢故に、敵と揉み合い勝負がつかなかったところを、
四郎殿(武田勝頼)が、自身で槍を取って横槍に入り崩しなさったのは、
信玄公(武田信玄)の御眼前であった。
その翌日に、反畑で馬場信春と内藤昌秀はこの事を沙汰して、
信玄公の御前で四郎殿を誉め奉り、感涙を流した。
すると信玄公は、とかくの御返事もなく仰せられ、
「“壮夫の涙”といって猛き武士はいずれも涙もろい。
大唐の韓信や樊カイは物を感じてすぐに涙を流した。
また我が家でも昔、荻原常陸(昌勝)は、涙もろかったと聞く。
方々も同様だ。」
と御意なされ、
四郎殿の御沙汰は、何とも仰せられなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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