毛利安左衛門は長宗我部盛親に属して大坂の陣で戦ったが、生命を助かり、
後に人々にこう語った。
「戦場の事については、
今時の壮士たちが畳の上で推量しているものとは違って、
簡単に高名手柄の成るものではない。
おおよそ戦場においては、昼夜の境なく心は苦しみ、
寒暑を防ぐことも出来ず、
兵粮と言っては黒米を食い、おっ立て汁に塩を舐めてようやく飢えを助け、
寄せ手は竹束の陰に武具を枕とし、霜露に晒されながら夜を明かす。
城中ではなおさら、今や攻める、
今や討ち死にすると寝食も忘れて緊張している中、
色々な雑説が流れ、何某は内通するとか、誰は敵を手引して今夜火を掛けるとか、
様々な危ういことが、毎日毎日言いふらされていた。
そのため膝を並べる同僚の面々であっても油断できず、
片時も安き心で居られず、手柄高名を心がける以前の問題であり、
勇気を折る事しか無かった。
普通の喧嘩であれば、互いの怒りから勇気も出て、
死も顧みない心にも成れるが、
合戦は敵に対して私の怒りなど無く、ただ忠と義を盾にして争う事であるから、
喧嘩ほどの勇気も出ない。
であるから、十人中九人までは、このような状況に日夜悩まされると、
高名立身の望みも失せて、
『うまくこの戦争が終わったら武士を辞め、
どんな賤しき業をしてでも、一生を過ごすのだ!』
そう思う者ばかりとなるのである。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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