天正13年(1585)6月、
正二位内大臣に任官された羽柴秀吉は、
四国の長宗我部氏攻討伐を決定し、
宣戦を布告するため片桐助作且元を派遣した。
長宗我部の前線基地、伊予大浜城の前までわずかな供を率い、
徒歩でやって来た且元は、
「それがしは内大臣家の家人、片桐助作にござる。
城の御大将に申すべきことあって参上いたした。
この旨をもって開門されたし!」
と、堂々と言い放った。
城兵は敵の来訪に色めきたったが、城将の長宗我部信親は、
「使者の作法、故実にかなって見事なり。
失礼あらば『南海の田舎者、礼節を知らず』と笑われよう。
そうなれば、死後までの恥辱となるぞ?」
と言い、門を開けさせた。
且元と対面した信親は、彼を上座へ導いた。
「貴殿は、仮にも内大臣のお使者。
無位無官の信親と対座は、はばかりがあります。
どうぞ、こちらへ。」
且元は一礼してこれに応じた。
「ただ今、秀吉公と長宗我部殿と一戦仕る上は、
まず互角の応対あるべきでしょう。
しかしながら助作は大臣家の家人である以上、
長宗我部殿の上座など神罰が当たらぬか恐ろしくはござるが、
御免を被って口上を述べさせていただく。」
城兵みな、二人の礼節に感心せざるは無かったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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