片手千人斬り | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

windows版・戦国立志伝で、歴史イベントを作成して楽しんでいます。

 

 

 

 

イベント名:片手千人斬り

 

シナリオ:1582年6月 天王山

繰り返し:なし

イベント概要:土屋昌恒とその子。

 

結果:なし。

条件:発生年月1582年7月一致。

 

 

 

[ 内容 ]

 

 

背景表示:人質解放

BGM再生:一陣の風

 

 

武田勝頼の家臣に、土屋昌恒という者がいた。

 

彼は信玄の時代から、武田家の次世代を支える逸材と期待されていた。

 

 

背景表示:包囲網

 

 

天正10年、織田・徳川連合軍による、武田攻めが始まった。

 

武田家の城は、次々と落とされ、家臣、一門が続々と寝返る中、昌恒は常に勝頼の側にあった。

 

やがて天目山に追い詰められ、勝頼が自害するという時、

 

昌恒は時間を稼ぐため、追ってくる織田軍の兵を狭い崖道で迎え撃ち、

 

片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しないようにし、もう一方の片手で槍を振るい織田軍の進軍を阻んだ。

 

が、多勢に無勢、後に、「片手千人斬り」と呼ばれるほど奮戦したものの、やがて討ち取られる事となった。

 

しかし、彼が稼いだ時間のおかげで、勝頼たちは縄目の恥辱を受けることなく、自害することができた。

 

 

背景表示:天守閣に立つ

 

 

この昌恒には、惣藏という幼い息子がいた。

 

織田の残党狩りを避け、親族のいた駿府の清見寺に匿わられていたが、徳川の手の者に捕まり、家康の前に引き出された。

 

家康は、引き出されてきた敵の子を丁重に扱い、こう語った。

 

徳川家康 「お主の父の最後を聞いた。わしは、お前の父のような侍を尊敬している。」

 

徳川家康 「それでだ、できれば、わしの息子・秀忠の小姓になってみないか?」

 

幼き子は、感謝して家康の言葉に従った。

 

彼は後に、土屋忠直を名乗り、やがて上総国で2万石を与えられて久留里城主となった。

 

侍の命をかけた忠誠は、自身や主家が滅びても、子に福を与えることもある、という話である。

 

以上、「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」より。

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう!