windows版・戦国立志伝で、歴史イベントを作成して楽しんでいます。
イベント名:佐賀の老虎
シナリオ:なし
繰り返し:なし
イベント概要:名将・鍋島直茂の賭け。
結果:なし。
条件:発生年月1614年9月一致。
[ 内容 ]
背景表示:天守閣に立つ
BGM再生:一陣の風
九州の佐賀に、「老虎」と呼ばれた人物がいる。
肥前の佐賀城主で、鍋島加賀守直茂である。
三十五万石の大領の主で、機略の鋭さは並々ではない。
そんな彼に、こんな話がある。
背景表示:拠点陥落
関ヶ原の戦いのおり、嫡男・勝茂は西軍に与した。
直茂は、遠く肥前の地にあって、徳川家康と石田三成のどちらが勝つのか情報を集めていた。
石田三成率いる西軍が、内部分裂しているという情報を得たのち、直茂は行動を起こした。
まず、西軍に参加していた勝茂に、理由をもうけて、戦闘への参加を止めさせた。
そして次に、東海道の地域で買い集めていた兵糧米を、徳川家康に差し出したのである。
徳川家康 「ようなされた。と加州殿(直茂)にお伝え申せ。」
と、家康は直茂の使臣に言い、上機嫌であった。実のところ、大軍を動かすうえで家康は兵糧米の手当に苦慮していたのである。
さらに勝負が決まったあと、直茂は使者を家康のもとに遣わし、勝茂の西軍加担の罪を詫びた。
その申し立ては、
鍋島直茂 「こうとなっては鍋島家家来七千人が同時に切腹し、勝茂若気の過ちをお詫びしたい。」
と、いうものであった。
徳川家康 「七千人も一時に切腹するなどは、古今聞いたことがない。」
徳川家康 「わかっている。以前、伏見の頃、加州殿は、我が家と存亡を共にすべしと申されたことがある。」
徳川家康 「信濃守(勝茂)の若気の罪は許すゆえ急ぎ九州に下り、かの地の逆徒を討たれよ。」
この一言で、事は落着した。
鍋島家は肥前一国三十五万石を安堵され、幕末におよんでいる。
以上、司馬遼太郎「関ヶ原」より。
ごきげんよう!