土橋重治 (つちばし しげはる) | げむおた街道をゆく

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土橋 重治(つちばし しげはる、生没年不詳)は、戦国時代の武将。雑賀衆の1人。土橋重隆の子。兄に土橋守重。
雑賀衆の一人として本願寺家と共に織田信長に抵抗した。
天正10年(1582年)1月23日に鈴木重秀によって守重が謀殺されると、居城に籠って織田に徹底抗戦するが、織田信張に敗れ、長宗我部家を頼って舟で土佐へ逃れた[1]。
本能寺の変後、雑賀へ戻って来るが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に家臣として招かれるも、仇敵の重秀と同門になるのを良しとせず、断った。
天正13年(1585年)、秀吉の雑賀攻めで抗戦するも、砦を陥されて敗北。またも舟で土佐へ逃れた[2]。
その後、北条氏政に仕えるが、小田原征伐で北条家滅亡後、毛利家に仕えた[3]。


以上、Wikiより。



土橋重治