足利頼氏 (あしかが よりうじ) | げむおた街道をゆく

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喜連川 頼氏(きつれがわ よりうじ)は、下野喜連川藩初代藩主。小弓公方・足利義明の次男・足利頼純(頼淳)の次男。母は佐野氏の一族・佐野晴綱(さの はるつな)の娘。



ー 経歴 -
天正20年(1593年)、兄の足利国朝が文禄の役で九州に赴く途上の安芸国で病死したため、兄の正室であった足利氏姫が頼氏と再婚することで足利氏後裔喜連川氏の名跡を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは頼氏は出陣しなかったが、戦後に徳川家康に対して戦勝を祝う使者を派遣したため1,000石を加増され、喜連川藩が立藩された。
喜連川藩の知行地はわずか5,000石弱に過ぎなかったが、江戸幕府を開いた徳川家康から足利氏の名族としての伝統を重んじられ、10万石並の国主格大名の待遇を受けた。


以上、Wikiより。



足利頼氏