創作人形 吉貞 -4ページ目

創作人形 吉貞

雛人形の話、趣味の話をお伝えします。

羽子板をなぜ飾っているのかについて考えてみました何回かに分けて書いてみようと思います。

4羽子板飾りについて1

突きばねについて

羽子板のいわれについて、書いてきました。付属の突き羽についても書いて見たいと思います。

無患子(むくろじ)の実として、語呂が良いので、私たちの業界で、むくろじを飾ることが重要なのでは、と錯覚させるような説明も多いように思います。

患わない子どもという意味で本来の書き方は、不患、ちょっと違います。

そして羽根つき、トンボの目玉のように見え蚊を追い払うことにつながり縁起がよいということですが、もうひとつ羽根つきについてですが、秋の五穀豊穣、その折、鳥にの収穫物を取られないように 鳥追いの儀式である考えられます。

これを予祝として子供たちの中で羽根つきを 流行らせたものと考えます。

してみると、突きばねは、本来は、暮れの時期を無事に過ごそうということで出てきたものではなく、正月に、秋の予祝を行うために出てきたものように思えます。

ただ、羽子板の鬼よけの縁起に添えて、語呂合わせではありますが、願いですから、無患子の意味を添えて飾るのもよいことだと考えます。

 

伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。

PVをご覧になってみてください。

栃木県の伝統工芸品

さのまるくんが当工房を取材した記事です。

さのまるくんブログ

伝統文化について、記事を集めたページ

吉貞人形工房

 

羽子板について

羽子板

雛人形 
五月人形 
破魔弓

http://www.dolls-yoshitei.co.jp/

 

羽子板をなぜ飾っているのかについて考えてみました何回かに分けて書いてみようと思います。

3羽子板の起源とはその4

現在の羽子板について

私たちの業界の羽子板は、ちょっと違います。私たちの町では、破魔矢を贈る習慣があった地域ですが、

佐野の組合員の中には、200年前の破魔矢の売買についての帳票があるという話もありますので、江戸時代から続いてきた風習ということは、間違いないと思います。その品物は、掛け軸で、武者の絵、お姫様の絵をあしらったものです。

これを親せきや近隣の方から頂き大変な数が集まったようで、当時の飾り方としては、床の間いっぱいに掛け軸を下げて、その中に赤ちゃんを寝せてて、暮の時期を過ごしたようです。この下げることで、鬼よけを考えるのは、宮中のくす玉などと同じ意味合いなのかと思います。

全国を見渡すとその時期を気をつけて時期を過ごそうという情意は変わらないが、贈答の品物が違うことは、よくあります。

羽子板が暮から小正月の間の飾りものである意味は、新しい歳が生まれるための大きな変化を無事に通過して、新しい歳を迎えて欲しいという願い、その間、生命力の弱い赤ちゃんに邪気がつかないようににという(病気や怪我のないように)との思いで飾ったものです。

 

 

伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。

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羽子板について

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いますが、

羽子板をなぜ飾っているのかについて考えてみました何回かに分けて書いてみようと思います。

3羽子板の起源とはその3

現在の羽子板について

第4回に続いてですが、この行事が、とん度焼きであり、邪気を寄せ付けない儀式と考えられ、この儀式の中で、胡鬼祓いの儀式板として、胡鬼板と呼ばれ、左義長板と名を変え、伝統工芸品、美術工芸品として、質を高めてきたということが、現在の羽子板のルーツといってよいと考えています。左義長板は、左義長の様子(三毬杖焼きの様子)を胡鬼板の末広を強めた板に描き貴族の中で贈答品として使われた歴史があり、庶民は、この板に歌舞伎役者を押絵にして描き、羽子板市などで、有名であります。この羽子板市で売られてきた羽子板は、だんな衆からのプレゼントに使われ来年もいい年であるようにという情意があったと思います。

 

 

 

伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。

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