救急隊が到着しリビングでうずくまる私。
色々声をかけてもらっていたが、激痛であまり覚えていない。
介護職をしていた時に夜間帯の付き添いとして救急車にはよく乗っていたが、自分が搬送されるのは初めての事。
救急隊の方が救急車まで行かないといけないから歩けるか聞いてきた。
激痛の為歩けないと伝えるとシートタイプのタンカの上に寝てくれとの事。
140bpmくらいでドクドクと肛門から全身に痛みが押し寄せる。
タンカに乗ったはいいが、90kg台のオッサンは救急隊3人でも中々上がらないようで、ユサユサと床スレスレで運ばれる事がさらなる激痛を呼んでいる。
「歩きます!」と伝え、救急隊にフロントと両サイドを支えてもらいながら10分くらいかけて家の前まで来た。
しっかりとしたタンカに乗せられ救急車の中へ。
この時には呼吸も早く浅いもので痛みが最高潮に達していると思った。
過去に無い、長く強い激痛に死を考えたし、いっその事とまで思ったのを覚えている。
一緒にパートナーも付き添ってくれて、心電図、血圧、脈拍、血中酸素濃度をつけられる。
状況を説明し、現在受診中のはくほうセントラル病院へ搬送が確定。
私の担当医の先生が当直に当たっているとの事。
少し安心したが救急車が、走り出すと揺れが凄く、痛みがドカドカやってくる。
社内ではパートナーが私の母親にメールを入れてくれていたが、自分はと言うと「いてーいてー」と叫んでいた。
病院に到着し、担当医の顔を見て少し安心した。
担当医「とりあえずお尻見せてください」
看護師に手伝ってもらいながらズボンを下ろす。
担当医「脱肛して無いですね。現状内で出来る処置は痛み止めを出すくらいです。」
この激痛をとりあえず取って欲しい。
点滴で痛み止めを流して欲しい。
そう訴えたが、薬剤師がいないからそれはできない。
ロキソニンかアセトアミノフェンしかないとの事。
もう何も返す言葉が出なかった。
それは落胆とかそういった感情ではなく。
文字にしたら「無」と言った感じ。
なんとかしてくれる、激痛から少しでも解放してくれる。そう思っていたが淡々と冷静にそう言われると虚無感で満たされる。
沈黙の後、私から
私「もう全身麻酔でも手術でもいいので痛みをとってもらいたいです。」
担当医「深夜である事から麻酔科医もいないしうちでは手術もできません。先ほど伝えたように、ロキソニンかアセトアミノフェンしか出せません。」
日々ネットで肛門科の有名な病院を探している中で大阪中央病院がよくヒットしていた。
この事は後日ブログで書きたいのでいったんその事を踏まえて進める。
私「大阪中央病院を紹介してもらう方は可能ですか?」
担当医「肛門鏡で確認も出来ていない状態でうちから紹介は出来ない。そもそも、現状ではどこの病院に行っても同じ事を言われますよ。どうしても行きたいのであれば明日のうちでの予約は当日キャンセルでもいいのでそちらの病院に初診外来で行ってはどうですか。」
私「わかりました。一晩考えます。ロキソニンをいただけますか。」
担当医からロキソニン1錠と水道水を渡され服用。
激痛は続くも45分程で少し落ち着いてきた。
看護師にパートナーにタクシーを呼んで欲しいと伝えてもらい。担当医はいますか?と尋ねるともう帰ったとの事でした。
私が甘えていたのかもしれないがなんとも厳しい世界だ。
看護師「ごめんなさいね。うちで何も出来なくて。先生も疲れておられたんだと思うの。大阪中央病院について調べてみたんだけど、肛門科は有名みたいです。明日も外来でやってるみたいだから、プリントした情報お渡ししときますね。」
用紙を数枚もらいタクシーで帰路へ
車内でパートナーの膝枕に横になりケツに負荷がかからないようにしながら、深夜にもかかわらず明日も朝から仕事なのについてきてくれたパートナーにお礼を言った。
パートナー「全然余裕。でもほんまに何もしてくれへんかったな。」
私「ごめんな。でもありがとうね。」
3:00頃家につき、リビングで側臥位になり追加でロキソニン2錠服用。
痛みが落ち着くのを待ちながら明日、大阪中央病院に行くことを決めた。
気づけば時刻は6:00少しうとうとしてきた。