Dr. K  ピークオイル考 -27ページ目

「水田を油田に」? その (2)

液体バイオ燃料の生産は、過渡期に一過性に、またはローカルになされる限りにおいて、ひょっとしたら積極的な意味があるのかもしれません。あるいは原料となる光合成植物の培地が、農耕地ではなく海か砂漠ならば、食糧問題との衝突を回避できるのかもしれません。しかしそういった検討が十分になされた形跡もなく、一国の農相が旗を振り「水田を油田に」が政策的に推し進められようとしています。ブラジルやアメリカを真似したいんでしょうか?


来るべき石油減耗が食糧を直撃することは間違いありません。すでにその予兆は出てきています。だというのに、この国の農相に食糧自給への危機感はないのでしょうか。直近の未来に予測される困難な事態に、逆行するような施策には、違和感をはるかに超えて危惧を覚えます。( 続く )

「水田を油田に」? その (1)

「水田を油田に」というスローガンのもと、米、あるいは休耕田を活用してその収穫物からアルコール燃料等、液体バイオ燃料をつくろうとする試みが、日本各地でスタートしています。

「もったいない学会」の WEB 学会誌に公開された論文「おいそれと帰農できない理由について」 (Vol.1, pp. 21-29、大谷正幸氏 ) によると、1GJ ( ギガジュール ) あたりのエネルギー価格は、原油 ( 輸入 CFI ) 684円、電力 ( 総合単価 ) 4,697円、米 26,000円だそうです ( 2004 )。また、この 原油  電力  米 の価格関係は 50年以上にわたり一貫していると。だからこそ、原油から火力発電で電力を、また原油や電力から近代農業で米を生産することが経済的に成立するわけです。

一方で、原油  電力   というエネルギー変換にともなうロスは、熱力学の第2法則、エントロピー増大の法則から逃れられない。このことからして、米からバイオ燃料工場でアルコール燃料を生産するのは、一見して原理的矛盾を内包していると察せられるのですが……。

「水田を油田に」って、ヒトの燃料 () から内燃機関の燃料を作るってことでしょう?

つまり、アルコール燃料  。これを、原油からガソリンを精製する従来のプロセスと、経済的に並存させるわけですね ( だって混ぜて売るんだもの! )。この不可思議な並存は、矛盾をどこかにしわ寄せすることで成立するように思えます。あるいはいびつな構造の上だからこそ、成立するのか……。

「水田を油田に」、と考える人々は、要するに食べ物よりクルマの燃料の方が大事なのかしらん。しかし、ホントにそんなに大事なのでしょうか? ( 続く )

その他の “ ピーク “

ハバートに源を発するピークオイル論の関心の中心は原油の総生産量にあるわけですが、その他の ピーク についてみてみます。

すでに言及しましたが、世界のオイル輸出ピークは 2005年から 2006年にかけて、すでに過ぎたようです。

枯渇性一次エネルギーのうち、原油のほかに NGL も重要な位置を占めているわけですが、The Oil Drum Peak Oil Update, Sep. 2007 によると、Crude Oil + NGL : the peak date remains May 2005 “ と、もう 2年半近くにわたり、その記録を超えられていないのが事実です (http://www.theoildrum.com/tag/update )

人口一人当たり、という観点でみると、世界のオイル生産のピークは古く、1979年にピークアウトしている ( オルドバイ仮説、http://dieoff.org/page224.htm , Fig. 2 )

ところで、一国の経済規模は、投入される一次エネルギー総供給量に規定されます ( いわゆるエコノミストの間では、この事実は必ずしも共有されていないのかも知れませんが、彼らの大半は、大局的また文明論的観点が欠落しているんだろうと思っています )

そこで、日本の一次エネルギー総供給量は、と見てみると、1997年度に一度ピークを形成。2004年度に一度記録が塗り替えられたようですが、単年度毎の微変動にあまり意味はなく、今はプラトー期最終盤 = 減耗始期ということではないのでしょうか。

いずれにせよピークは、その只中にいるときはわからない。過ぎてみてはじめてわかるという性格から逃れられない。人類がはじめて遭遇する問題なので、誰も確実なことは知らない……。

やっぱり、ホント

10月14日付け、日本経済新聞によると、「サランラップ」の価格の、30年ぶりの値上げを A化成が検討しているとのこと。つい先日は Y崎パンが 24年ぶりの値上げを決定。バイオエタノールの需要増で、トウモロコシの価格はこの 1年で 4割りも上昇したとか。これらの要因について、メディアはあれこれ言っていますが、根っこにあるのはオイルの構造的な価格高騰、もっといえば、供給の資源物理学的限界にあることに他ありません。

オイル生産量のピークなり減耗に先立って、輸出のそれが先行すると考えられます。産油国にしてみれば、輸出よりも、自国内の需要を優先させようとする意志が常に働くはずだからです。私の目には liquids の輸出量は 2005年から 2006年にかけての短いプラトーの後、すでに減少局面に入っているように見えますが、いかがでしょうか ( http://www.peakoil.nl/wp-content/uploads/2007/09/oilwatch_monthly_september2007.pdf 、→ chart 12 )。

The Oil Drum の Oilwatch monthly からですが、次の up-date は明日なので注目しています。


ハバートのピークオイル論ではピーク時期の予測に埋蔵量が利いてきまが、その公式データがあてにならないことは知られた事実です。その点、輸出統計は各方面から裏がとれるので、それなりに信用できるでしょう。輸出量の減少は、生産の減耗局面が本格化する予兆であり、また、ピークオイル説が " ホント " である証拠ではないでしょうか。

There is no plan-B

このテーマで、いきなりこのタイトルではなんだ、と言われそう。



「もったいない学会」の Web 学会誌で、先日公開された論文「おいそれと帰農できない理由について」において、著者の大谷正幸氏は、" 石油減耗という人類史上最大の難問に対して社会的規模で解決が図られることはない " と言い切る。その通りかもしれない、と私も思う。しかし、ただ座して艱難を甘んじて受けよと言うつもりもない。個人のレベルから、来るべき事態に備えなければならないのでしょう。