『怪物』レコーディング回想録 - 後編 | 夕暮れ 坂道 島国 惑星地球

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6. 空白

 

タイトな日程の中、ベースの鹿島さん、ドラムの脇山くんを迎えてのスリーピース・セッションが終わり、どうにかベーシック・トラック9曲を録り終えることができた。正直、各曲の細部に渡るまでを冷静にジャッジできる余裕がなかったし、どちらかといえば「このままではマズイぞ」という不安な気持ちでスタジオを後にした記憶がある。翌日だったか、鹿島さんから「昨日はいいセッションだったね」とメールが来ても、どこか半信半疑な気持ちで録音を聴けない自分がいた。確信が持てないのである。ただ、こういう時の自分のマイナスな反応はよくわかっている。レコーディングに対する心配や不安、過度のプレッシャー。以前は付き合うのがとても大変だった。だけど今は違う。年齢を重ねて一番良いと思うところは、目の前にある問題に対処するやり方を自分なりに学んでゆくことだろう。自分の場合そういう時は何もしないに尽きる。あえて放ったらかしにすることも大切だ。無理して作業を続ければ余計にテンションは下がるだけ。自然と前向きに音と向き合える瞬間を待つのもひとつのやり方なのだ。しかし、いつもなら少し時間が経てば何事もなかったようにレコーディング再開となるところが今回はそうならなかった。約一ヶ月の空白。そう、相手は今まで経験したことのないツワモノ、怪物だったのである。

 

 

7. 持つべきものは

 

結局、8月に入ってもレコーディングに対するテンションは一向に戻らず、これは本当にアルバム制作の中止もあり得るぞという精神状態になってきた。それを見越してか何度か鹿島さんから「レコーディング進んでる?」というメールが入り返事に窮することもあった。このままではいけない。でも確信が持てない。そんな状態のままいたずらに時間だけが過ぎてゆく。ちょうどこの時期だっただろうか。親友の山田稔明くんによく泣き言をメールした。彼も自身のバンドGOMES THE HITMANの新作レコーディングが難航している最中で、お互いのパッとしない話を聞いては、お互いに俺の方がマシだと勝手に勇気付けられたりもした(それで親友なのか・笑)。持つべきものは友なのである。その後、段階的に自分のギターパートのレコーディングを再開したものの、もはや心ここに在らず。車輪が外れたまま走り続ける車のように。後になってエンジニアの上野洋さんも話していたけれど「あの時はもう本当にこれはお蔵入りアルバムになると思ってました」と、万事がそんな状況だった。抜け出せない暗闇。僕はもう完全に怪物に飲み込まれる寸前だったのである。

 

 

8. シュガービーンズ

 

8月某日。都内スタジオ。まさに運命の日と言っても過言ではない不退転の気持ちで迎えたシュガービーンズこと佐藤友亮くんのキーボード録音の日。今だから言えるけど、この日、自分なりに何も確信が得られないようだったらアルバム制作を中止するつもりでいた。そのぐらい切羽詰まった状態だったと記憶している。まさかそんなことになっているとはつゆ知らず、いつも通りひょうひょうとスタジオに到着した佐藤くん。久々に会うなり佐藤くんが「高橋さん、今回のアルバムめちゃいいですね。今までで一番好きですよ」と一言。単純だと笑われるだろうけど、自分の中でこの一言をきっかけに一気にレコーデイングの流れが変わった。何も知らない佐藤くんの一言に救われてしまったのだ。よっしゃ。その勢いのまま早速セッションをスタート。まずは生ピアノで「feeling sad」「always in the same place」「夜はやさしく」をレコーディング。実はタイトル曲「怪物」にも生ピアノを入れたヴァージョンがあるので、それはいつかアウトテイクスとして。それと今回チューニングを通常より若干低めの440Hzにしたことで、生ピアノの倍音成分がとても豊かでまろやかな響きになった。これは発見。その後も順調に作業は進み、予定していた以上のほぼ全曲で佐藤くんに音を入れてもらった。中でも最高だったのが「醒めない夢」の間奏シンセ・ソロ。普通こういう曲の間奏って歪んだギター・ソロが常套句だけど、それじゃあつまらないってことで急遽シンセ・ソロを試しにお願いして。やってみたらまぁ見事にハマったのなんのって。ダサさギリギリのフュージョン感というか未来感というか疾走感。こんなの聴いたことない。もうコンソール・ルームではガッツポーズと大爆笑。2019年で一番笑った出来事だった。結局、スタジオの最終時間まで休憩なしで作業して奇跡の一日が終了。佐藤くんの人柄と音楽のエネルギーに感謝。この日、遂に、怪物をロックオンした。

 

 

9. 旬であるかどうか

 

一度きっかけを掴んでしまえば、それまでの苦労なんて一気に吹き飛んでしまうのもレコーディングの面白いところ。ほんの数日前まで確信を持てなかったスリーピースのベーシック・トラックが、ギラギラと解放される瞬間を待っている。反撃開始だ。やはり今作は新しいことにトライしている要素が強かったし、果たしてそれがリスナーに受け入れられるだろうかとか、そんな思いもあったのかもしれない。要は覚悟が決まっていなかったのだ。佐藤くんとの作業をきっかけにそれが確信に変わり、自分自身もこの大いなるチャレンジにのめり込んでゆくこととなった。この時期はとにかく繰り返し繰り返しアルバムのラフミックスを聴いていた記憶がある。それはもうデビュー・アルバムかよっていうくらい何度も夢中に。そして次なる作業は『怪物』の最後のピース、エレキギター弾き語り曲のレコーディングへ。この時点での候補曲は「無口なピアノ」と「トワイライト」の二択。実際に両方とも演奏してみて今回は「トワイライト」をチョイスした。理由は簡単。「トワイライト」がより新しい曲で今が旬だと思えたからだ。そう、今回のアルバムで一番大事にしたことは、自分にとってそれが旬であるかどうか。それに尽きる。そこを間違わなければ、怪物だろうがモンスターだろうが怖いものなしなのだ。

 

 

10. 天才

 

9月某日。都内スタジオ。ペダルスティール・ギターの宮下広輔くんを迎えての最終バンド・セッション。今まで何度か言ってきたけど彼は天才だと思っている。天才と呼ばれる人の例に違わず、宮下くんもやはり扱いが難しい。それは決して人柄の話ではなく音楽的な会話や意思疎通についての話だ。長年ソロシンガーをやってきて、本当に様々なタイプのプレイヤーと一緒に仕事をしてきた。一回きりの人もいれば鹿島さんのように25年も関係が続いている人もいる。自分のアルバムの中でいかにサポート・ミュージシャンが輝くように導けるかもソロシンガーの命題。言ってみれば音の現場監督。お互いWin-Winの関係が理想だ。思うに演奏家には大まかに三つのタイプがあると思う。一つめはその曲に対して具体的な要求を伝えた方が良い人。二つめは細かい指示はせず出来るだけ自由に弾いてもらった方が良い人。そして三つめはその両方をバランス良くこなせる人だ。言うまでもなく一番仕事の多い売れっ子は三つめのバランサー・タイプだろうが、自分にとってはさして重要なことではない。宮下くんはそのどれにも属さないタイプだと思う。だから扱いが難しく魅力的なのだ。この日は事前にリクエストしていたペダルスティールとラップ・スティールの二種類を弾き分けてもらった。特にレコーディングでは初となるラップ・スティールでの「怪物」「友よ、また会おう」は聴くたびに圧倒される。こんなに軽々と際立つメロディを奏でる人も珍しいのではないか。本人に自覚はないようだけど、そういうところがまた天才っぽい。そしてアルバム後半の二曲「夜はやさしく」「feeling sad」の繊細なペダル・スティールも素晴らしい。曲の広がりや奥行きが更に深まる演奏だった。終わってみれば楽しいことばかりだったバンドメンバーとのセッション。改めてみんなと一緒に演奏していることを幸せに感じた一日だった。

 

 

11. 怪物を吹き込む

 

バンドメンバーそれぞれとのセッションも終わり、作業はいよいよヴォーカル録音へ。怪物を吹き込む時だ。ここ近年の2枚『The Endless Summer』『Style』は、ライブで鍛えてから万全の状態でレコーディングする曲が多かったが、今回はまさにその逆。あまりライブで演奏していない曲や新曲をレコーディングしながら完成させてゆく。そんな新譜本来の制作現場だった。特にその傾向が顕著だったのはヴォーカル録音ではないだろうか。普段まずないが歌いながら歌詞を間違えることも度々あった。それに加え声の出し方やリズム、ブレスのポイントやニュアンスの付け方なども探り探り。ただ逆にそれは自分にとって久しくなかった新鮮な感覚でもありとても興奮した。今俺は新譜を作っているんだと心から感じることができた。特にタイトルトラック「怪物」をはじめ「醒めない夢」「友よ、また会おう」「feeling sad」辺りは、歌っていて込み上げる瞬間もあり、納得のいく仕上がりだと思う。意外と苦戦したのは「トワイライト」や「夜はやさしく」といった静かめな曲だったとも記憶している。そしてもうひとつ大きく変わった点は使用したマイクだろう。最初に前2作で活躍したマイクを試したところ今ひとつ声が抜けて来ない。やはり近年のアルバムにはなかった歪んだギター・サウンドとマイクの相性ということになるだろうか。代わりにチョイスしたマイクは、よりエッジの立つメリハリの効いたタイプで、ギター・サウンドに混じってもしっかりとヴォーカルが抜けて聴こえてきた。マイクひとつでこれほど大きく印象が変わるのもレコーディングの醍醐味。そして「always in the same place」のスキャット・ヴォーカルやそれぞれのコーラス録音も楽しかった。エンジニア上野さんの「これで完全に見えましたね!」という一言と共に、いよいよ怪物の全貌が現れたのである。

 

 

12. 実りの時

 

12月。全ての録音・編集作業を終えて、『怪物』はエンジニア上野洋さんのミックスダウンに委ねられた。上野さんとご一緒するのは『The Endless Summer』『Style』に続いて3枚目で、ライブ録音『AO VIVO』『a distant sea』も合わせると通算5枚目のアルバムとなる。元々はsugarbeans佐藤くんの紹介で知り合った上野さん。過去にハンバート・ハンバートなどの作品を手掛け、山田稔明くんのバンドではフルート奏者としての一面も見せる演奏家でもある。昔の自分はミックスダウンの時、音のレベルからパンニング、エフェクト処理まで、何かとよくエンジニアに注文を出した。本来、黙っていれば望み通りになるだろうことにも我慢できず口を出した。宿題やりなさい。今やろうと思ってたのに。母と息子の不毛なやり取りと同じだ。ただ上野さんとアルバム作りをするようになってからは、そんな注文をほとんどしていない。それは自分が年齢を重ねて少しは思慮深くなったこともあるだろうが、一番の理由は単純に、余計なことを言う必要がないからだ。レコーディング現場でこれほどストレスがなく幸せなこともない。ただそれは決して上野さんが自分の思い通りにやってくれるからということでもない。もっと建設的でクリエイティヴな意味においてだ。今作も事前に「12月20日に完成したミックスダウンのデータを送ります」というメールのやり取りだけで、あとは基本それを待つだけだった。実際12月20日に「今回が一番の自信作です」というメッセージと共に初版のミックス・データが届いた。僕はあえてすぐに確認はせず、2020年の元旦に聴くことを心に決めた。

 

 

13. 42分35秒の至福

 

今回、レコーディング初日から上野さんとよくディスカッションしていたのは、サウンドの軸となるギターをどのスペースに配置するかということだった。それが右なのか左なのか真ん中なのか。結果的に今回は限りなくセンターに近いステレオ、そんな微妙な処理を施したギター音像となっている。アンプに立てたギター用マイクと古いリボンマイク2本の特性により、本来モノラルで聴こえるはずの音に微妙なステレオ効果が生まれたと思う。これでヴォーカルのスペースにも重なることなく全体として狙い通りのサウンドになったのではないか。そして2020年元旦の朝。目が覚めて身支度を整えオーディオに電源を入れる。なんだか神聖な儀式のようにドキドキしながら『怪物』のミックスデータを聴いた。最高じゃん!42分35秒の至福。もうほとんど修正したいところもなく、その旨を新年の挨拶と共に上野さんにメールした。それから年明けに一日、自分も立ち会いのもと細かな仕上げの編集作業を行い、いよいよレコーディング最後の行程マスタリングへと進む。このマスタリングという作業。以前は完全にスペシャリストだけの特化した技術のひとつだったが、レコーディング・エンジニアがマスタリングまでを手掛けるようになった現在、それも様変わりしつつある。もちろん専門のマスタリング・エンジニアを尊敬しているし優秀な方もたくさんいるが、アルバム制作という大きな流れの中で、ひとりのエンジニアが全ての行程を手掛ける説得力や効率もまた魅力的なのだ。つまりレコーディングやミックスダウンをしながら同時にマスタリングをする。反対にマスタリングをしながら必要とあらばミックスダウンにまで戻ることもできる。そんなフレキシブルな作業が可能だ。なので現在のマスタリングとは曲順を確定する、曲間を決めるといった作業がメインになりつつあり、良くも悪くも以前のような最後の儀式ではなくなってきていると思う。こうして無事全ての行程を終えニューアルバム『怪物』は誕生した。

 

14. エピローグ

 

そして現在。一時は制作中止も考えたほど産みの苦しみもあったが、終わってみれば現時点での最高傑作と呼べるものに仕上がったと思う。一生懸命やればそれなりの結果が付いて来るもんだなぁと、改めてそんなことを感じた。今はまだ自分でも理解できないこの怪物を、行く先もわからず走り出してしまったこの熱量を、どうかひとりでも多くの人に聴いてもらいたい。今はただそう願っている。ありがとう。

 

2020年4月10日

高橋徹也