1959年、岡本太郎は初めて宮古島を訪れた。「東北はふるさと、沖縄は恋人」と語っていた太郎。
京都や奈良には興味を示さず、日本文化の表層にあるものに全くとらわれなかった人間・太郎は、縄文文化の中に日本人が本来持っていた燃えたぎるエネルギーを見つけた。
だから太郎ににっては、沖縄と東北なのだ。
事実はどうだったかは置いといて彼なりに縄文人の文化の残滓を感じとった。
太郎は、沖縄をある意味日本よりも日本的と表現していた。
「本土の一億総小役人みたいなこぢんまりした顔つきにうんざりした人は、沖縄のような透明で自然なふくらみ、その厚みのある気配にふれて、自分たちが遠い昔に置き忘れてきた、日本人としての本来の生活感を再発見すべきなのである」
太郎は、この台詞をそのまま東北にもあてはめている。
そして、
「沖縄の人たちはいい。私は大好きだ。色はやや黒く、目はギョロッと鋭い。全体に分厚い感じ。中にはひどく毛深い人がいて、胸毛どころか、二の腕から手の甲、指にまで黒い毛が密生していたりする。いかにも逞しく、ちょっとこわいようだが、よく見ると、こんな柔和な表情があるだろうかと思われるほど、何ともいえない優しさとあたたかさが感じられる」(沖縄文化論)
なんだか自分にとっては他人事ではない話(笑)
太郎が縄文を好きなのは、縄文人たちはきっと「全人間的」生きていたと思われたからだ。自然と対決し、そして自然に感謝する。それを芸術とも呼べる土器で表現する。荒々しいけど人間らしいライフスタイルが日本にもあったことに太郎は感動したのだった。
太郎は、そこから馬を操る武士たちが東国で起こってきたことにも想像を巡らせている。
東北、もう少し広げて東日本くらいのスケールで考えれば、十分「武士道」にもつながる要素がある。
やっぱり東北も沖縄も中央からは虐げられて来たエリアという共通点があると思う。
江戸幕府の将軍は、「征夷大将軍」だったことを考えるとずっと東北は蛮族の土地というイメージは捨てきれなかったものと思われる。
一方、沖縄は、民族学者太郎の分析によれば、マラリアなどの病気によって発展が阻害されてきたり、宮古島のような小島でも年貢は納めないといけなかったし、歌と踊り以外の文化は禁止されていた。
薩摩藩による制服で琉球王朝が八重山諸島に課した人頭税。1609年の侵攻により琉球王国は薩摩藩に支配され、税を支払わなければならなくなった。
宮古島では、この人頭税石と同じ背の高さになると課税されたと伝えられている。柳田国男が広めて有名になった。柳田国男・・・新渡戸さんにめっちゃつながる人物。
年貢といっても産業の少ない宮古島ではなかなか払えず大変だったろうと容易に想像できる。
そうした歴史を背負う沖縄で、太郎は、神がいて、人はみな歌い踊ることに感動を覚える。
太郎は言う。
「ここは踊りの国」