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前回の続きです。

 

私が入職してからしばらくは作業を担当した人を中心に業務日誌を書くことになっていた。これで支障なく進んでいたが、ただ特に所見がなければほとんどの業務日誌が似たような内容になるという課題も見え始めていた。

 

そこで職員に担当利用者を決めてその担当者が全ての業務日誌を担当することに決まった。それはいいのだが、作業の分担も担当者別という訳には行かず、作業状況を見ることなく業務日誌を書かなければならない人も出ることになった。このようなときは休憩時間や昼休み等にコミュニケーションを担当利用者と取って書くよう宇賀から言われた。

 

玉本はやや重度の人も入れて約5人、堀中は主に若い人を担当し約5人、私は精神障害の人を中心に約6人で割り振られることとなった。

なお、この書いた業務日誌は利用者さんが帰った後のミーティングで担当者ごとに逐一報告することになった。

 

この業務日誌の負担は一気に重くなった。作業の様子を1日見ない利用者とのコミュニケーションをうまく取れないと報告書が書けなくなってしまった。中には高次脳機能障害などで同じ話を何度もするような人との話も難しい。また連絡なしで休んでいる場合は電話連絡もしなければいけないことになった。コミュニケーションを取りにくい人は毎日ほぼ一定になってくる。それでももし何もコミュニケーションが取れなくても様子を観察して記録にするのは問題ないようだった。

 

詳細は後述するが、この報告に対して宇賀は逐一何かコメントするので、ミーティングの時間がかかり、帰る時間が午後6時以降にことがほとんどだった。

 

私は作業の様子を見ていないのに日報など書けないと考えていたが、他の2人は別に何も言う気配もないのでこの宇賀の方針に従うほかなかった。

 

ちなみに玉本はのらりくらり乗り越えればいいと考えており、堀中は前の職場では管理者だったのでそれほど負担には感じないらしい。

 

本来利用者さんとのコミュニケーションは信頼関係を構築するために行うものである。業務日誌を書くためだけにするコミュニケーションなど時間の無駄だし、利用者も不審に思うかも知れない。それに発達障害の私は糸口のないところからコミュニケーションにつなげることが非常に苦手である。この業務日誌の作成に毎日四苦八苦するようになり、毎日動悸が止まらないほど体調は悪化して頓服薬に頼るようになった。

 

私の気持ちのエネルギーは夏前から枯渇寸前まで低下していたが、少し回復したと言ってもこのペースでこころのエネルギーの消費を進めると回復のペースは非常に遅く、そんなに長期間は持たないことは必至だった。

 

 

話は次回に続きます。