前回の続きです。

私は施設長の宇賀さんと副施設長の谷さんの謀略(?)で近い将来にこの事業所に雇用することを前提とした利用者向け講演会の開催を行い、1時間程度の話をすることに決まったことは前回の原稿で書いた。
 
講演内容は精神障害者が過去にどのような待遇を受けて、戦後に制度がどのように変遷したのかを中心に話すことに決めていてその内容でスライドの原稿を考えていた。パワーポイントと書いたが私が使用しているソフトは中国の安い互換性のオフィスソフトを使用していたため、詳細は後述するが講演会前日になって問題が生じることになる。
 
スライドは講演会直前に完成し、17枚になった。これで1時間の講演なら十分できると考えていたがそううまくは進まなかった。プリントアウトして施設長の宇賀さんに渡して利用者人数分コピーして配布資料にしてもらうよう頼んだ。
 
このスライドのデータは事前に渡していたが私が使用していた中国の互換オフィスソフトが古く、最新バージョンのパワーポイントに対応していなかった。データが反映されない状況が続きこのままではパソコンからプロジェクターに投影することが難しくなる問題が生じていた。
 
ここはパソコンに詳しい職員の玉本さんが講演会前日になって何とか私が使用しているソフトの無料体験版をインストールしてデータが反映されて投影できる環境が整った。互換ソフトも万能ではないことがよく分かった。
 
ここからは少し長くなるが講演会当日のお話の内容を概略で述べる。
 
中世ヨーロッパでは、カトリック教会などが主導して精神障害者は魔女として忌み嫌われ、裁判にかけられ火あぶりの公開処刑で惨殺された。魔女と言っても男性も多く含まれている。魔女裁判で処刑された精神障害者は約20万人とも言われる。
 
戦前の日本では精神障害者を家族が監督する義務があり、外に出すことも許されず精神科の病院も少なく、これと言った治療薬もなかった。そのような背景で私宅監置が認められていて、精神障害者の多くは座敷牢に閉じ込められていた。このような状況に精神科医の呉秀三は「日本の10数万の精神病者は実にこの病を受けた不幸のほかにこの国に生まれたことの不幸を重ねたものである(現代語訳)」と嘆いた。
 
戦後の日本の精神医療政策について、昭和25年に精神衛生法が制定されて私宅監置が廃止され精神科の病院が多く建設されるようになった。精神疾患を抱える患者は運営コストの安い人里離れた病院に事実上の隔離政策が続くことになった。日本では私立の精神科病院が多く、この時期に急増したのはなぜなのかというと、精神科特例と言って医師や看護師などの人員が他の診療科と比べて少なくて済んだことや病院建設に必要な多額の資金を国が安い金利で融資したことなどが挙げられる。
 
このような隔離政策が続く中、昭和39年に統合失調症の患者が米大使のライシャワー氏を刺し重傷を負わせるライシャワー事件が発生し、これを機に精神衛生法が改正されて精神障害者の隔離政策はさらに進んだ。
 
このように精神疾患を抱える人が病院に隔離される政策が続く中で精神科病院による人権侵害も注目されるようになった。とりわけ問題になったのが昭和58年の宇都宮病院事件で、看護職員が患者に暴行し死亡させた事件であるが、日常的な暴行のほか作業療法を名目にした使役など多くの不法行為が発覚した。このような不法行為は全国で行われていたことが次々に発覚していった。
 
この事件をきっかけに精神衛生法が精神保健法に改正されて、任意入院や精神医療審査会などが創設された。ここで患者からの処遇改善請求もできるようになった。
 
精神障害者を取り巻く制度は遅れていたが平成5年に施行された障害者基本法で精神障害者が初めて身体障害者、知的障害者と同じ位置づけになったほか、平成7年の精神保健福祉法では精神障害者の手帳も創設されて精神障害者の位置づけが明確になった。
 
精神疾患患者はうつ病などが周知されるようになって患者が急増し、2011年現在320.1万人に達している。精神科病棟の入院は1年未満が約3割の他、10年超の入院も約3割に達している。そのうち退院したくてもできない社会的入院患者は約7万人に達すると言われている。日本の精神科ベッド数が約34万床であることを考えると飛びぬけて多いことが分かる。
 
精神科医療の進歩は進んでいるが、精神障害の福祉サービスは他の障害と比べると遅れているものが目立つ。精神疾患への偏見や差別も根強いが精神障害者が社会で当たり前の生活ができるよう求められている。
 
ほぼ1時間の予定時間内に上記内容を話すことができた。ただ話を組み立てるのに準備はしていたもののまだ準備不足だったところも多くあった。利用者の反応は分かりやすくて良かったなどという意見もあったがよく分からなかったという意見もあり、評判は上々というわけにはいかなかった。それでも利用者さんの前で楽しんで話ができたことには自信がついた。
 
施設長の宇賀さんは早くも第2弾をやりたいと考えていた模様である。それまでに私を何とかして雇用しようという動きがさらに加速することになった。
 
 
話は次回に続きます。
 
 
 
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