前回の続きです。

 この事業所に通うようになってすぐパソコン入力の実習が入ったことは以前の原稿でも書いた。この実習先が車で30分ほどかかる場所にあった。この実習は週2回で2人なので週1回ずつ交代で行くことになり、火曜日が私で金曜日が山岡さんと決まっていた。山岡さんは口数は少ないがワイルドなタイプで私に負けないくらい背が高い。

 この実習の担当が谷さんという人でこの事業所では施設長に次ぐ役割を担っていた。車で送り迎えをする途中は私が過去にやっていた仕事の内容などについて聞かれることが多かった。私は保険医の構成する団体で約10年働いたこと(詳しくは新人期から中堅後半まで)、エレクトロニクス総合商社で約1年半(詳しくは再スタート期)および精神障害者向け事業所3か月(詳しくはPSW新人期)の正職員履歴があることを話した。その後精神疾患で入院して現在は年金(2級)をもらいながら細々と生活していることも話した。

 細々とと言っても年金が月額12万円と工賃が2万円強、オークションの売り上げが5万円前後ある(注:仕入れゼロ)ので生活には直ちには困らない水準の収入だった。

 私が精神保健福祉士の資格を持っていることは通所開始前の面談で話していたが、資格証明書などの証拠書類は何も見せていなかった。当初の話では登録証を見せてほしいという話にもならなかったので見せなかった。

 この事業所では作業は安定して受けており、作業が途切れて待機時間になることは少なかったが(←以前勤務した事業所では多かった)待機時間になったときには求人広告などで求人を閲覧したり、履歴書を作成するなどの練習に充てられていた。私は履歴書の作成には慣れていたので別に練習しなくてもスラスラ書ける。求人の閲覧は言うまでもなく精神保健福祉士での求人を探していた。京都では有料の求人広告ではほとんど求人が出ていなかったが南大阪地区では複数の求人が出ていたので驚いた。ただ遠くて通えない案件が多かった。送迎バスなどもあるところもあるが車で通勤することを想定している求人もこの地域では多いことが分かった。

 私はこの時にスラスラと書いた履歴書を施設長に見せることにした。ここで私が嘘で精神保健福祉士を名乗っていると思われても嫌なのでここで精神保健福祉士の登録証のコピーを添付することにした。今は自宅のプリンターで容易にカラーコピーが取れるのでカラーコピーを添付する。この登録証はコピーしたら正本では光る部分が光らなくなるので見る人が見たらすぐにコピーだと分かるようになっている。

 履歴書を渡したら職歴も目を通していたがやはり登録証が気になるようだった。精神保健福祉士の資格を持つ人が利用者で来ることは珍現象らしく事業所側も私を精神保健福祉士として仕事を積極的に探すことになった。

 ちなみに病気になって回復してから精神保健福祉士を目指す人は多くいるが、精神保健福祉士になってから精神疾患で入院することになる人は珍しい。ただ自身の回復に向けて自分の知識が役に立ったことは事実である。

 まずは最初の3か月は体力の回復が最優先課題なので事業所に休まずに通うことを1番の目標に掲げていた。


 話は次回に続きます。



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