これは中学1年生の夏休みのお話です。
鮮明度:A
夏休みになった。
クラブは夏休みには活動しないので別段学校に行く用事はない。
従ってたくさん出される学校の宿題をやりながら、小学校時代の友達と遊ぶことが多かった。ただ、小学生時代の友達も部活動で忙しくなるのでいつも予定通りという訳には行かなくなる。
私は弟を連れて遊びに出たりして夏休みを過ごした。
夏休みの宿題は順調に進んだ。読書感想文を書いたり、理科の実験(この年はカビの研究)をしたり、漢字ドリルなどもスムーズに進んだ。
そのような中でスポーツをしないことになった私に「体力がつかない」ことに危機感を抱いた父親がやたらとトレーニングを強要するようになったのがこの時期である。
親はことある毎に私に
「腕立て伏せを今からやれ」
と言うようになった。私はこれが嫌で仕方がなかった。私が首を横に振ったら、
「いいからやりなさい」
と有無を言わせずやらされた。仕方がないのでやったが嫌々やるので苦痛以外の何物でもなかった。
ここでなぜ基礎トレーニングをやるか考えていただきたい。考え方は様々だと思うが、
スポーツで相手に勝ちたい→上手になりたい→頑張って強くなりたい→トレーニングが必要
と言う目的があるプロセスを経て苦しいトレーニングも耐えて頑張ろうという気持ちになるのだと思う。
ところがこの時に親が私に強いたトレーニングはこの目的が全くなかったのである。
「私を強い男にしたい」
と言うのは親の目的であって私の目的ではない。私は目的もないのに苦しいトレーニングだけを強要されたのである。こんなことをしている時間があればもっと本を読んだり勉強した方がまだマシだった。
1度私の小学校6年生の時を振り返ってみよう。私は腕立て伏せを頑張って20回やろうとした背景には、
スポーツテストで銅賞が取れる→先生に褒められる→私も嬉しい
というちゃんとした私自身の確固たる目的があった。
話を元に戻すが、夏休み中何かある毎に親は私に腕立て伏せを強要するようになった。私は嫌々やっていたら親が剣山(華道に使う花を刺す多数のとげの付いたもの)を持ってきた。私がちゃんとやらないとその剣山で背中をざっくり叩かれる(もちろんとげのある方で)。私はあまりの痛さに
「ギャーーーーッッ!!!」
と近所中に聞こえるような大声で叫んだ。こんなことが2週間くらい続いた。もうこれは教育と言うよりは虐待だった。
これがあってからは私は用事があるとき以外は2階の自分の部屋に閉じこもるようになった。そこで英語のヒアリングテープをひたすら聴いたり、理科や社会の資料集を読んだり、図書室で本を借りてきては読んで時間を過ごすようになった。
近所から虐待の疑いをかけられたことや私が完全にへそを曲げてしまい、親に対して怯えるような形になってしまったので、親は次第にこのトレーニングの強要はしなくなっていった。親が私の名前を呼んだら私は怯えたような恐い顔で振り向くようになったので、
「まあそんなに恐い顔しないで1番(将棋を)やろう」
と私の機嫌を取るようになった。
この事件をきっかけに私は親に対して不信感を持つようになってしまった。
これがあってから私のスポーツ離れは決定的なものになりました。本来スポーツをさせたいなら親が一緒になってスポーツの楽しさを教えることの方が先でした。それが全くない状態で苦しいトレーニングだけを強いたのでかえって私はスポーツの楽しさが分からなくなってしまいました。
話はまだまだ続きます。
「本日の豆知識」
愛媛県の今治に1貫10円で提供される「10円寿司」のお店があります。とても小さいですがちゃんとしたにぎり寿司です。「10円寿司」は25貫で250円と破格です。私もこのお店に行ったことがあり、「10円寿司」はもうなかったので普通の握り盛り合わせとお吸い物のセットを注文しましたがそれでも800円でお釣が来るくらい安かったです。結構美味しかったことを覚えています。
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