それでは今回は6年生の冬のお話です。


鮮明度:A


 6年生の冬になった。担任の山岡先生は黒板に大きく


「ウインタースポーツ」


 と書いた。これはもちろんサッカーのこと。冬の体育の授業ではほとんどがサッカーをすることになった。


 体育の授業では私が5年生の時すぐに行かなくなった「サッカー部」のような精鋭ぞろいではない。全くルールも知らない人もいる環境下でのスタートとなった。


 ドリブルの練習やシュートの練習などから始める。先生はもちろん、うまい人が先頭に立って教えてくれるのでこの時は私も意欲的にやった。と言うよりも意欲的に動かないと寒くてたまらない。


 ある程度みんなができるようになる頃を見計らって試合形式のゲームを行う。この時は男子20人、女子20人くらいのクラス構成なので男女2チームずつに分けて対戦を行う。この時は配置も試合毎に変えられていた。バックスをやることもあればセンターやフォワードなど攻めに回ることが出るようになった。


 試合は男子同士、女子同士で行う。コートは二面も取ることができないので男子が試合をやっている時は女子は応援をしたり、その他の練習をして時間を待つ。授業時間は45分しかないので、試合時間は20分程度と短くなる。


 私はポジションが毎回変わることにうまく対応できなかった。バックスからフォワードに変わったときにはまだ感覚がバックスのままで攻めているボールが自分の所に来たのに思い切り自陣に蹴り返してしまったこともあった。ところが徐々にフォワードの位置に慣れてくるとゴールをアシストするような絶妙なパスもできるようになっていた。


 チーム編成も先生が力のバランスを考えて選ぶのでいつも勝負が均衡したいいゲーム展開になることが多かった。このような中で5年生の時とは違って少しは


「サッカーが楽しい」


 と思うことができるようになっていった。


 そんなある日、みんなでゴールキーパーの練習をすることになった。あの広いゴールを1人で守らなければならない。ボールを蹴る人とゴールキーパーが順番に変わる形で練習が行われた。私にゴールキーパーの順番が回ってきた。ボールを蹴るのは活発な女子の野田さんだった。私は身構えた。決して油断をしていた訳ではない。


 野田さんがボールを勢い良く蹴った。ボールは予想をはるかに上回るスピードで私の方に向かってきた。私はとっさに手を出そうとしたが間に合わずボールは顔面に直撃。かけていたメガネは吹っ飛んだ。でもゴールは守った。私は痛いのと何が起こったのかがわからずパニックになったのとで呆然となりその場にしゃがみこんでしまった。幸い怪我はなかった。野田さんは私のメガネを拾ってきて、


「ごめんね。大丈夫だった?」


 と気を使ってくれた。ボールを取れなかった私が悪いのに、である。私は痛いのを精一杯こらえて、


「大丈夫。有難う」


と言ってメガネを受け取った。


 これがきっかけで野田さんが私のことを好きになったということは後で聞いた。


 小学校高学年になると少しは異性を意識するようになる年頃なのでみんなの噂に聞き耳を立てるのが楽しかった。どうやら他にも勉強しかできない「頭でっかち少年」の私のことが好きな女子はいたようだ。そんな話題になると盛り上がる時期だった。


 私もこの時に気になる人はいない訳ではありませんでしたが周りの人には黙っていました。


 それではいよいよ次回が小学生時代最終回です。



「本日の豆知識」



 街中で見かける「病院」と「診療所」。これは何を基準に決められているのかと言うと、日本では入院することができるベッドの数で決まります。ベッドの数が20以上あれば「病院」、19以下(ゼロでも可)の場合は「診療所」になります。


小学生の話も大詰め。ワンクリック大歓迎です。

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