それでは今日から最高学年の話に入ります。


鮮明度:A


 私は無事(何とか)6年生に進級することになった。


 担任の先生は4年生の担任だった山岡先生だ。山岡先生と言えば私が5年生の時に行かなくなったサッカー部の担当の先生である。担任の先生が決まったことを親に話すと、


「あんたサッカー部すぐに行かなくなったから1年みっちりしごかれるよ」


と脅された。この先生は相変わらず熱血だった。3年目になった山岡先生は子供との接し方もうまくなっていた。


 まずは各種委員を決める。私は5年生の時に引き続き放送委員に立候補した。この時は別にやりたいと言う人がいたがその人が他の委員会に行くと言ってくれたので引き続き放送委員になることが決定した。今度は放送機材の使い方を教える立場に変わった。


 あとは最高学年と言うことで新しく入ってきた1年生たちの歓迎行事などもあった。1年生たちと一緒に校庭などで遊ぶと言うレクリエーションもあった。


 そしてクラブ活動の選択をする時期がやってきた。私は5年生の時には父親に将棋を教えてもらいまあまあ強くなったのでこの年は「将棋部」に入ろうと決めていた。クラブのリストをよく目を凝らしてみたが「将棋部」が見当たらなかった。


 「将棋部」では部員が集まらないので「将棋などを含むゲームを楽しむ」目的で「ゲームクラブ」にクラブ名ごと変更されていたのだ。私は将棋「だけ」をやりたかったのだが仕方がないので「ゲームクラブ」に入ることにこの年はあっさり決定。5年生の時にやった演劇部は姿を消していた。


 「ゲームクラブ」という名前はいかにも遊びのような感覚になることが功を奏して部員は20人くらい集まったと思う。まずは自己紹介をして部長を選ぶことになった。この時は推薦で私が部長をやることになった。


 繰り返しになるがこのクラブ活動は水曜日の午後に授業の一環として行われていた。週1回だけの活動になるのでやはりできることは限られてくる。まずは顧問の先生の方針により1人1人がオリジナルのゲームを創作することから活動は始まった。私は鉛筆を2本振って遊ぶちょっと変わったすごろくを考えた。


 1本の鉛筆には1から6までの数字を書いて、もう1本の鉛筆には「×0」「×3」を1つずつ、「×1」「×2」を2つずつ作り2本振ってその数だけ進めると言うもの。「×0」「×3」があるのが曲者で一発大逆転も可能なすごろくを作った。使う鉛筆は三菱鉛筆の9800とここでもこだわる。


 もちろんすごろくの盤面にも1回休みや振り出しに戻るなどのイベントを数多く設定。このルールを派生させて新しい1人遊びも考案した。それは後日改めて紹介したい。


 みんなもすごろくなどが多かったが様々なゲームを考案していた。このみんなで作ったゲームを1通り遊ぶ形で活動は進んだ。


 ところが5年生に不真面目な輩が何人かいた。私は部長の立場上注意をしなければいけなかった。下級生に指導することの難しさをこの時に知ることになった。下級生は私が怒るのを見てからかうような態度を取ったので頭にきた私は顧問の先生と相談してクラブの全体会議を開いた事もある。


 あとは将棋もやりたかったので将棋も活動に入れる。「ゲームクラブ」で将棋を知らない人もいたので将棋のルールを1通り教えることになった。初心者、経験者、中級者などにグループ分けしてリーグ戦なども行った。将棋の駒を使ったすごろく「歩回り」(先月1人遊びで紹介した内容)の遊び方も教えた記憶がある。


 あとは「はさみ将棋」や「山崩し」など将棋盤と駒を使ったゲームなどでみんなでワイワイ楽しんだ。


 この「ゲームクラブ」はコンピュータゲームがあると勘違いして入ってきた人が結構いたようです。結構楽しかったのですがこのクラブは1年でなくなりました..。



 話はまだまだ続きます。



「本日の豆知識」


 漢字の「唐」の部首は「くちへん」です。これを100人に聞いたら半分以上の人は「まだれ」と答えると思います。

 漢和辞典を引けば「くちへん」のところに「唐」が出てきます。


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