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 久々に、本職に帰ってきました。

 芥子山の西麓から南麓にかけて、目黒から大多羅村があります。この大多羅の名前が、どこから来たか何を表しているか考えてみたところ、すぐ近くに「大邑羅葦原」(おおむらあしはら)という大安寺領がありました。「邑」の字と「多」の字は本当によく似ているので、単なる誤植・誤記であろうと〈筆の誤り〉に決めつけておいた。しかしそれだけでは、どうも折合が悪い。石間の江の今の長利、中川、吉原、可知、益野、松新――西大寺平野の中心地を占める広大な〈葦原〉が陸地化する以前からの人跡である「おおだら」が、むしろ発祥のネーミングでなければならぬ。とすると・・・。

 最近の朝日新聞の新連載に宮部みゆきの『荒神』という物語がある。村の中心に〈大多平良山〉とかあって、山麓がなだらかな傾斜でゆったりと開けている・・・?それじゃまるで芥子山山麓そのものじゃないか・・・そこでやっと「ハタ」と気がついた次第です。

 ほぼ独立峰であって、二上山であり一方の山上に大規模な岩倉が存在し、中腹がこんもり果樹園地に開墾されている。周りにカンナ削りやカンナ流しのあとを留める小山を一杯引き連れて、巍然とそびえる。この山麓に集落を構えて、大邑羅の葦原の耕地化に率先した農民こそ、大多羅村のご先祖さんに違いない。出身は、採鉄集団かもしれない。鉄の団結を誇った先進種族で、カンナ流しでは、先進技術体系を保持し、分業と集約合わせた一大技術者集団であった。やがて、あまりにも豊かな大邑葦原を目前にして、永続の地に見立てて居ついたものかもしれない。

 世に、大平山とか、太田良山とかはごまんとあります。どれも石器時代からの幸多き地でありました。まして  砂鉄や砂金すら採鉱できるとなるとそれこそ「宝の山」でしょう。

 これからは「大多羅」はやめて「おおたから」と呼ぼうじゃありませんか・・・。