なぜか暑気に当たってダウン!家庭菜園で毎日鍛えていたはずなのに・・・暑気払いなどいかが?その暑気払いにあたったような??
円山は、北から見れば「とっさかやま」。笠井山との間に、鳥越のタワ(峠)を形造っています。この山頂に「石鉄山古墳」があり、まだよく形が残っています。すぐ西に「金蔵山古墳」これは鐵製品が大量に見つかったことで有名です。南から眺めるとかわいい突起型の円山――地名の起源がよくわかります。地名といえば、岩間村と当麻村が「米田」になったのは何となく出世した気分ですが、では勅旨村と苅田村で「兼基」とはこれいかに!なんで突然関白家?藤原氏の荘園でもないのに?しかしここから眺める〈笠井山〉――高倉山の山容は本当に素晴らしい三角錐型で、笠井山型そのものです。これと比べて、北方の金山の出城みたいな北の『笠井山』ははっきり言って屋形型の「あずまやタイプ」です。操山ー三棹山ー三櫂山ー瓶井(みかい)山と、溯ってたどり着いてみると古来日本人は文字には囚われなかった。文字を生んだ中国に学びながら、「ことだま」にこだわったといえるでしょうね。
縄文の終わりに海水の水位がちょうど陸地を形造るにふさわしい処に引いて、クニ来、クニ来と呼ばわりに併せて、どんどん洲が広がってきた。やがて「弥生」の時代に入ると、洲を巡って村作りが始まり、渡来人のおかげで水田が開けどんどん米作りが広まった。ここ、上道平野はその典型でした。石高神社のような古来の面影を残すお社は、渡来系の神社に比べて非常に少ない。わたつみの神を祀る岩間神社も渡来系と言えるのかもしれないがうんと古形で、むしろ「純日本」の本当の姿は「うんと古い渡来系」なのかもしれない。そんな疑問にあてどない探索を試みているのが、tetuousamaで、日暮れて道遠しというよりも、はやとっぷり闇夜にまぎれて、一筋の明かりを求めつづけているだけなのかもしれません。あぁ・・・