社会に溶け込むのは、簡単な事
いい思い出が、辛い思い出に変わる
社会に溶け込むのは、良くないこと?
いい思い出が、メッセージを発する

社会に溶け込むのは、自分を殺す事

待て、社会が無ければ、俺は無い
だったら、自然・世界・人々を大事にしなければ、自分の存在は無い



今の自分、地球にあるもの全ては、自分と同じと考えるべし




そうだ、
簡単な事だ、
周りにあるもの、
日々に感謝をすればいい
その気持ちさえ忘れなければ、迷いや恐怖は拭えるだろう


これと言った強い不安がある訳では無いが、
自戒の意味を込めて日記に残す。

有難う、感謝のこころ、って何ていい言葉なんだろう
へなちょこな自分が歪んだ状態でも忘れないでいたい。
俺自身、自らの意見が言えない事が多い。

ある人のまえと、ある人では意見が変わる。

それではどちらが本当の意見かが分からない。

だから、ある人は「本当のことは腹にある」と考え始め、本心が違うなら、心はゆるせない、となる。

俺はその積み重ねで信用を無くしてきた。

人に率直な意見を述べるのは怖いと無意識的に思っていた。

けれど違う。

本当に怖いのは、意見を言わず自分を表現しないこと。

表現をしないのは、自分を殺すことだ。

己よ、怖がるな!
自分の意見を少しでも投せよ。
今は広島へ向かう新幹線の車中。
思った以上に時間の長さを感じて、多少の疲れを覚える。
本も音楽も家においてきたから、暇を持余す。

ビール・ハイボールを飲みながら過ごしていたけれど、やはり暇は暇だ。

あと一時間はかかる新幹線で、何を思いながら過ごそうか。
今年の豊作を憂うか、それとも、今後の人生を想像してみるか、はたまた、ムフフなことを連想するか。
いずれにせよ、時間を余らせることは、体に毒なこともあるらしい。
僕はNIKONがとにかく好きだ。
何でか知らないけれど、ロゴからシャッター音まで、理由を付けずに大好きだ。

そんなNIKON教の僕が、旅の思い出に買ったのが、これだ。「変人の日記2」
NIKON SP 命名「横山さん」
ちなみに大阪生まれ、育ちは不明。

画像は、先日行ったカメラ博物館でのものです。
(同じ機種が偶然にもあったので撮影)

博物館では、ほかにも数千点ものカメラがあった。

「変人の日記2」
「変人の日記2」
「変人の日記2」
あまりに数が多すぎた為に、撮影しきれず断念・・・。
無念を会場に残して、昼食へ向かうのだった。

カメラの群れはどれも眼差しは死んだように見えず、力強いことこの上なかった。
コレクトされた彼等は、使えないものとして見物されているのだけれど、僕から見ると使って欲しい、棚の外へ出て光を感じてシャッターを切りたい、そんなメッセージを感じた。

カメラの歴史は浅いけれど、その過程は強烈なインパクトを残してくれた一日となった。
何をどうしたら曲が出来るのか、全然、想像(創造)が出来ない。

ギターを久々に始めたのはいいけれど、遊びに来た会社の後輩に比べると明らかに下手くそだ。
彼はギター暦が長いから、仕方のないこと。
(止めを刺すかのように、彼は高校時代に創ったオリジナルソングを披露してくれたのは少しショック・・・)


「音楽は、自分で創りたい」



多分、私は表現をしていきたいのだろう、表現する事で自分を彩りたいのだ。

普段、そんなに主張をしないから、その裏返しなのだろう。



今朝、風の流れに身を任せた様に、五線譜にメロディーを預けてみたい。
そして、いつか唄が出来たなら、そいつを小説にも投じよう。
全ての作品(小説、音楽、可能ならば音楽)が一つになれば、それは映画に限りなく近く、考えるだけで楽しくなる。

やりたい事が多すぎて、困るが、それもまた幸せなり。
仕事の一日、と言う太陽が顔を覗かせた時間帯が終わり、僕は寮の一室で不毛な空気を漂わせていた。

あぁ、疲れた、しきりに気だるかった仕事を、頭が思い出させる。

一度、布団に包まり、ボーっとしてみる。


だが、眠れない。


仕方が無く起き上がり、一服をしながらコルクボードを眺めた。

そこにはいろんな人との写真が飾ってある。

「笑顔」が沢山、ちりばめられたそれをじっと見て、更に、新たに現像された「笑顔」の足跡をなぞる。

名古屋の友人、小学校からの旧友、寝てるだけのプーさん、先輩の結婚式のワンショット、母・祖母の珍しい笑顔のツーショット、初日の出の友人、本当に様々なシーンが数十cmの長方形に写っている。



見ているだけで、嬉しくなった。



どうやら、僕は、視覚で感じるだけでも、感情が左右されるらしい。


多分、過去の体験や、思い出達を強く見かえす事が出来るからだろう。


そして、強く感じたのは、誰しもが「笑う」為に生きていて、根源的に願っているのではと言う事。

笑顔は、コルクボードや、僕が現像した新しい写真達の様に、人間の力強さも表現できる所作なのではなかろうか。



笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生



人生、どんな形でも、その人の道だけれど。




笑う門には、福来る



だね。
久々のブログを更新しようと思う。
忙しさにかまけて、数日間、まったくご無沙汰だった訳だけど。

今日こそは、と、PCを開いたものの、愛機「横山さん」の写真整理に時間がかかり、こんな時間になりました。
厳しい事に、基本的な就寝時間が早いので、10時半には寝たいところです。


そして、今日の出来事へ・・・



いけないことだが今日の仕事中、小説創作の切っ掛けが新たにつかめた!

書きたい事が山ほどあり、収集がつかなくなっていた今日この頃に、救いの手が差し伸べられた。


僕がずっと描きたい事の共通項に「絆」が存在していたことから、小説のメインタイトルがそれに決定した。
サブタイトルとしては、山ほどある。
むしろ溢れる程、創作したくなるタイトルなのだ、「絆」とは。


ではナゼ、そんなに世界が広がってしまうのか?


僕は、何でも物語りや、ロマンチックな出会いを求めて続けている。
だから、人との間に小さな事から、大きなことの「絆」を勝手につけている。
一方的だけれど、僕にとっては大事な猛進なのだ。
自分を肯定する術でもあるし、良いように考えれば、無限大に膨れ上がる。

また、僕にとっての「絆」は、人以外にも存在する。
「動物」、「植物」、「そこら辺にあるモノ」も対象内だ。
動物・植物であれば、生きとし生けるものと言わんばかりに、彼らを叱咤激励したくなる。


人が適当にあしらうものに、大抵、意思はないだろうと決め付けられる。
だがそれは違う、意思を感じられないモノほど、意志があるのだ。


もっとも感じやすいものは、「そこら辺にあるもの」だ。
想像して欲しい、ポイ捨て煙草の亡骸を、あれは正に人間の汚れた気持ちだ。
見るたびに嫌気を生じる。
嫌悪感を感じなくなっていたら、感性が鈍くなっている証拠でもあると思うよ。
モノに意志(意思でもある)を重ね合わせる僕は、何に対しても考えてしまう。

ちょっと何かを移動させようものなら、持ち主が気分良くなれる為に極力いい条件にしたり、
はたまた、駅を歩いていて空き缶があろうものなら、不快感を抱きゴミ箱へ捨てる。

結局のところ、住みよい環境にしたいが為の行動なのだけどね。

とにかく、話は外れたが小説はちょっと良い方向に進めそうです。