四角の円は存在しない。
だが、四角の中に円は描ける。
そんな心掛けが出来れば、どんなに素晴らしく生きれるのだろうか。

例えば、急ぎの用事で誰かを押しのけて、自分の成すべき事をしたいとしよう。
自分は、目標へ向けてひた走る、まさに線の交わる鋭角の頂点だ、平たい道からだと、走りはどんどん鋭くなる。
ゴールへの走りの中にマルは共存していない。ここでマルは他者としよう。

そしてだ、目標への猛進中、丸の存在に気付くかは目線によって違ってくると思えませんか。

マルは、私達の下を半透明な線で、ゆっくり歩いている。
遅いから気づかないのか、端から見ないのか私は知れないが、目線が効いてくるのは確かな筈だ。

目線は意識の元で変わってくるだろう。
その意識は「思いやる」事で、植え付けられる。
それは種が萌えて、大木になるのと同じで成長する。
勿論、水、光、土が必要だ。
その三要素は、環境、出会い、経験に置き換えられる。
三要素のトライアングルを、噛み締める様にして体感すれば意識は変われるだろう。
さすれば四角の中に、マルを描き、認識すのも遅くはないと考える。
意識は、木々と極めて酷似していると言っていいな。
我社では、3DCADを使う事が希にある。
高いライセンス料金を払って、希ではいけないのたが。

そのCAD講習へこれから向かう。
向かった先の食処で、知らない世界を知るかの様に、冒険心が顔を覗かせてきた。
不安より、好奇心が強い今は、イケイケどんどん。
経済成長期の日本のスタイルと一緒やね。

僕は、まだ三次元CADは初心者中の初心者なので、とにかく慣れて理解をするのが先決だ。

これから、田舎者の憧れる東京駅へ行くのだが、三時間頑張ってかなくてはだ。

今日はビールが美味しい筈。
実は学生の頃、少しばかりコンビニ業に携わっていたことがあった。
その頃は礼儀正しくなんて事は出来なかったけれど、「接客の心得」程度のものは学んだつもりだ。
だからか、たまにコンビニ定員の態度が気になる。
正直言って、買い物する時は便利な立地条件より、店の雰囲気・気に入った店員を目安にすることが多い。
ちなみに、気に入った店員は老若男女、問わずだ。


今日だって出先の帰りに、わざわざお気に入りのセブンへ行った。
深夜バイトで愛想のいい、いつもの兄さんは無論、居なかった。
その彼には過去に、差し入れをした事もある。
それ以来会ってないから、今度久々に10時以降に行ってみようか、などと考えてレジに向かう。


CCレモン、葡萄ゼリーを持って、バイトの方にお願いする。
レジに居る子は、会った事のない人物だった。
言葉の節々に、「かったるいわ~」って気持ちが篭っていたからか、ちょっと対応が悪い。
そこまでは問題がない。
だが、最後に「お釣りが、215円になりまーす」って時、渡し方が僕の手を触らないように、
銭を投げたのだ。
極端な言い方をしているが、そんな感じだった。
何かがあったのかもしれないが、これにはやや憤怒です。


コンビニを出る時に考えた。
お釣りを返す際に、相手の気持ちや態度が最も分かる気がする。
言葉を常に丁寧にしろなんて言わない。
だって、買わない奴もいるからね。
けれど、買ってくれたお客に銭を投げるとは、どういった御了見でしょうか。


銭を投げ返してやろうかと思いましたね、銭形へいじの如く。
その前に髪をちょんまげにしないと、ではなくて、買い物した時に不快な想いをするほど、僕は心が広くは無いので、今後気をつけて欲しいと願う。
多分、自分が冷たくあしらわれたくないから言ってるだけかと思うが・・・。
(コンビニのバイトさん、失礼な言い方をしてすみませんでした。しかし、君の接客は酷いよ)


そして、帰りの車で思い出した。
この話題と同じ事を、中学校のクラスメートと対談形式で議論した記憶を。
当時も、つり銭の渡し方についてだった。


どうやら、私はあまり変わっていない様子です。
変わってないのは、いい意味でなのか判然としませんが。
今日は上司から直接、仕事が沢山頼まれた一日だった。
それは何でか、ちょっと不思議に思い、忙しい中でも考えていた。

上司が仕事を直接言ってくることは、復帰してからたまにではあったが記憶にある。
そして、復帰宣言をし久々に会った時も、「あえて気に触れない様にはからった」と、上司は言ってくれた。
多分、必要以上の更に高いポイントで僕のことを気にしていたのだろう、と容易に想像できた。


 だが、しかし、復帰直後はまったくと言って良いほど、上司とコミニュケーションが出来なかった。
あからさまに話を続けない態度が目に見えてしまったからだ。


「嫌われた?」と「いやいや、あえて放置してくれてるんだ。精神的なアレだから」の意見が対立して、論争を巻き起こしていた。
その内戦は、最近までずっとあった。
上司の態度が変わるまでは、ずっとだ。

 正直に申し上げると、その状況は僕にとって本当に辛くて「会社に居たくない病」さえ発症するかと思った。その事が切っ掛けになって、上司にモノを言い難く、これからの僕の仕事方針を伝えられなかった。



少しずつ慣れや上司の気持ちを分かって、安心感を覚えてきた今月でも、意見を言う事は無かった。
そこで、今日の仕事が沢山きた事に疑問を持ちつつも、終了間際の会議で先輩から出た言葉が、僕に新しい閃きをくれた。


「きっと、上司もどの様に仕事を渡していいのか判らないのだろう」



僕もその意見は同感だった。
先輩の意見の反面、僕は上司と関係を再蓄出来たのに、必要最低限以下の事しか伝えられない自分が従来から居た事に気付かされた。
もともと深く考えずに行動することもある。
その点も災いしていると思う。
しかし、「諦めて考えない」って、逃げ道をつくっている自分も存在している。
そして、期の始めに個人面談がある、その際に伝えようと決心していた。


 今は、「あるものを捕って喰う」ことしかしていない。むしろ出来ないに等しい。
それでもいい、けれど少しずつでも意見を言わなくてはならない。
討論をして、相手に従うことになろうが、なかろうが、意見をぶつけないとお互いに何も分からないだろう。


これまで、仕事や旅で学んできたろう?


どうしてやろうとせず、やれないのだ?


思考が一杯一杯だからか?


思ったら口にする習慣は、元来ある筈だ。


なのにどうして言えない?


信頼関係の問題では無いのは確かだ。
たまに道に反れた報告もあるが、信頼しているし、敬意もある。
上司も今は、僕に変わりなく接するようになった。


すると、やはり僕自身が内に篭っているのではなかろうか。
内に篭るくらいなら、意見を述べる際、ルー大柴氏の溌剌とした「togetherしようぜ」をちょっと柔らか目にして、「discussionしようぜ」と意気揚々とするしかないのかな。
言うなら控え目に、出来るなら内心だけがいいが・・・。





先ほど気付いた、今回の僕が復帰したケースでは、周りの先輩方・僕自身がどう対応して良いか分からない。
だったら、僕が積極的にいかなければならない部分が必要なはずだ。
そいつは恐らく、状況や自分の対応(反応)を、ちょっとオブラートに包んで現してみることかな。
例えば、判らない事・忘れた事があったら、前向きでおちゃらけた感じに伝える。
(聞くのに恐怖を抱いてる節がまだあるから)
やり易かった・思い出してやってみたら一人でやれた、なども発言すべきではなかろうか。


意見や考えを相手に伝える前に、ちょっとクッションを効かせて発言を何度かしてみよう。
いや、してみようでなく、「してしまえ」の方が、今の僕にはいいのかもしれない。



なにせ、臆病者じゃけんの
(↑広島弁)



何だか自分の思考をそのままぶつけた日記になってしまい、申し訳ないです。
この場で書かなくては、頭の中がまとまらない気がして、キーボードを打ち鳴らした次第です。


そして、


明日からも、やれる。

そう思って居られる状況が、過去に比べれば幸せでたまらない事も、最後に付け足しておきます。
少しだけ形が見えてきた。
題名は仮の状態だけど、「クローバー」
主要登場人物は、基本的に変更なし。

推敲&追記の楽しさが、どんどん膨らんでいく。
それは、小説を描くことの気持ちも同様にだ。
自分のあるもの全てをぶつけて、描いて行きたい。
文章を書くことも大切だが、イメージを形(小説)に変える作業が心地よく、自分にピッタリだと体感できたことも大きな収穫だ。



突然だけれど、

人間はイメージで生きるものだと言える。




だって、初対面のイメージって最後まで尾を引くでしょ?
だから、小説を読むのも書くのも、文章をなぞって意味を捉えるのが重要でなくて、想像をするのが大切なんだと思うよ。
想像することで、考えって広がるからね。
想像することで思考が無限なイメージの広原へ投げ出されれるんだ。
イメージの広原は、言葉の緑林だったり、感性の青空なんだ。
イメージをしながら生活をすることって、重要なファクターさ。(ベイベー)



それともう一つ、私的な発言だけれど、ある。
腹が満たされた時は、執筆が出来ない(笑)
ご飯を食べないで、ある程度、ジュースを飲む程度が一番、執筆し易い。
前々から分かっていたけれど、此れほど違うとは、思っていも居なかったよ。
人間の体っておもしれぇんだな~。