8月16日は一日、実家で休み、翌17日に下北半島まで日帰りで出かけた。
もっとも「下北半島に行く」と前日に家族に伝えたところ、「日帰りでは行けない」と一蹴され、それでもなんとかごまかして家を出た。当時住んでいたところ(岩手県のだいたい真ん中あたり、東北本線沿い)からは、鉄道を乗りつぶすだけなら、ギリギリ日帰りで下北半島を往復することができる。というわけで、雨が降ったこともあって、昨日・一昨日に比べればずっと涼しいこの日、前年に北海道に行ったときに利用したのと同じ「くりこま1号」を、今回は野辺地まで利用する。天気は回復傾向にあったが、寝不足なのか正直、気分はすぐれない。
トンネルを抜け、森を越えて、野辺地へは定刻より三分ほど遅れて到着。1番線の大湊線ホームに走っていったら、四両のディーゼルカーはすでにいっぱいで、席を探すのに苦労した。やっと落ち着いた通路側の席は、陽射しが時々あるものの、吹く風が心地よい。そうだ、「くりこま1号」はいくら冷房が効いているとはいえ、窓が開かないので換気が悪く、だから気分も今ひとつだったのだという結論を得た。海からの風を浴びながら、ゆっくりと体調を回復させよう。
さて大湊線である。イメージとして、すぐそばの北海道の原野にも匹敵する荒涼とした風景が広がっているのではないかと想像していた。案の定、北野辺地を過ぎて見える森や林や灰色の海…有戸あたりまで来ると、空は曇っているというより濃霧に覆われているようにも見え、一気に北海道の東部までトリップしたような感覚に陥る。索漠とした土地の表情は、さいはての地にふさわしいものだ。水田や畑もないことはないが、林や草原の占める割合のほうがずっと大きい。
薄いブルーの大海原が広がるようになる。そういえば今朝のテレビで、青函連絡船で集団食中毒が起きたというニュースが報じられていた。ゴミが目立つ砂浜は海水浴場としては整備されていないのだろう、人の気配はほとんどいない。それでも列車が進むにつれ、青空が戻り海の色が濃くなると、泳ぐ人も目につくようになる。もっとも、車内にはもとから冷房はおろか扇風機さえないし、いつの間にかみんな窓を閉めきっている。泳ぐにはかなりつらい気候のはずだ。陽射しが強くなり海が見えなくなったところで、やっと有戸の次の駅、吹越に到着した。
松林が目につく沿線。案外暑い陸奥横浜。少しウトウトしたが、目を覚ましても前と同じような風景が展開している。というか、陽射しが強いのになぜ誰も窓を開けないのだ? 目で訴えたら窓際の乗客がやっと窓を開け、風を入れてくれた。有畑という駅は見過ごしたのだろう。近川に着いてしまった。この駅もそうだし、次の金谷沢も然りだが、おしなべて松林をバックに従える駅ばかりである。
ずっと並行して走っていた国道沿いに、自動車ディーラーの営業所が目立つようになる。赤川ではたまたまなのか、駅名表示板が上下ひっくり返されていた。下北駅は大畑線を分岐する駅のせいか、この線では屈指の規模を誇る駅。
ラジオは甲子園高校野球の試合を流している。広島県の広島商業が沖縄県の興南高に逆転勝ちした、という結果だった。川を渡って市街地に入るかと思ったら、海側は荒涼たる風景のままだった。
列車は二股のひとつの端の大湊までいったん進みながら、その後下北まで戻り、さらに同じ列車が乗り換えなしで大畑線に入り、二股のもうひとつの端、終点の大畑を目指すという運用である。大湊では四分間の間に前一両を切り離し、進行方向を逆にして発車。意外と大湊で降りる人は少なかった。自分もお腹が空いていたが、昼食を買うことは断念、降りることも諦めた。
製材所やセメント工場の脇を通って下北に二回目の停車。いよいよ大畑線に突入する。右側と左側の車窓がだいぶ異なる。海老川で女子高生たちが大勢乗り込む。次の駅はむつ市の中心地、田名部。駅の大きさのわりに降りる人は多い。余談だが、1959年に大湊と田名部が合併したときの当初の名前は、「大湊田名部」だったそうだ。後年の銀行合併劇のような、それぞれの覇権争いが垣間見える市名は翌年早くも、日本で初めてのひらがなの市「むつ」に改められている。
田名部を過ぎるといっそう、荒涼とした景色に。時折ひょっこりと沼が現れたりもする。霧もかかってきて、まるで前年の根室本線の東端部に乗ったときのような、やるせない寂寥感がこみ上げてくる。樺山という無人駅では、乗降がなかった。窓を開けていると、今度はむしろ寒ささえ覚える。陸奥関根も樺山と同じような無人駅。家のあるところに駅があるというのも、まさに道東を思わせる。再び海が見えて川代。ここもむつ市である。このあたりから、なぜか田畑や集落が密集してくる。ねぶたの張りぼてが置かれた正津川。次が終点の大畑か。濃霧のかかった津軽海峡の潮風が頬にあたる。港が見える。
大畑駅にはスタンプは置かれてなかったが、予想に反して売店はあったので、ビスケットと「北海道ホワイトミルクチョコレート」を合計300円で買う。往路よりも潮の匂いがきつく、海鳥が飛び交う陸奥湾を見ながら、予想以上に甘ったるいホワイトチョコをむさぼるように食べる。海老川で空が少し明るくなる。
大畑線の上り列車は大湊止まりで、野辺地方面への列車出発までには三十分以上の待ち時間があったが、同じ列車に乗っていたほとんどの乗客が、同じ待合室で待つというのもなんだか気恥ずかしい。外に出ようとしても、暇をつぶせる場所はなさそうだ。前の年、根室本線の厚床駅で、三十分あまりの待ち時間を、やはり所在なげに過ごしたことを思い出す。もっとも、こんなに人は多くなかったが。
野辺地行が出発するやいなや、日が照りだした。同じ駅を通ること四度目、下北駅も初めて「晴れ」の状態で停車。しかし、せっかく海側に席を取ったにもかかわらず、前半は熟睡モードに。気づいたら有畑で、陽射しは結構強くなっている。日は傾きかけているのに、泳いでいる人はかえって増えている。有戸ではまた曇ってしまった。
野辺地でも一時間ほどの待ち時間がある。高校野球は津久見-佐賀商という九州勢同士の試合を流していた。私は大部分を読書に費やしたが、スタンプも押した。「下北半島の入口」のほうを選んだが、あとで「野辺地防雪原林」のスタンプにすればよかったと後悔した。当時走っていた、南部縦貫鉄道の駅舎の背景にたたずむ防雪原林の風情はまことに美しく、日本で一番好きな駅といえば野辺地といえるかもしれないほどに心に残る駅となってしまった。
「くりこま6号」は五分遅れで到着。なかも満員で、八戸まで立っていた。あとは読書に没頭した。
日帰りとはいえ、結構疲れてしまった下北半島往復旅行であるが、明日からはいよいよ、家を離れ東北・北海道の旅に出る。
<今日の行程>
急行くりこま1号-1120野辺地1125-1317大畑1322-1358大湊1432-1552野辺地1656急行くりこま6号-(以下略)
もっとも「下北半島に行く」と前日に家族に伝えたところ、「日帰りでは行けない」と一蹴され、それでもなんとかごまかして家を出た。当時住んでいたところ(岩手県のだいたい真ん中あたり、東北本線沿い)からは、鉄道を乗りつぶすだけなら、ギリギリ日帰りで下北半島を往復することができる。というわけで、雨が降ったこともあって、昨日・一昨日に比べればずっと涼しいこの日、前年に北海道に行ったときに利用したのと同じ「くりこま1号」を、今回は野辺地まで利用する。天気は回復傾向にあったが、寝不足なのか正直、気分はすぐれない。
トンネルを抜け、森を越えて、野辺地へは定刻より三分ほど遅れて到着。1番線の大湊線ホームに走っていったら、四両のディーゼルカーはすでにいっぱいで、席を探すのに苦労した。やっと落ち着いた通路側の席は、陽射しが時々あるものの、吹く風が心地よい。そうだ、「くりこま1号」はいくら冷房が効いているとはいえ、窓が開かないので換気が悪く、だから気分も今ひとつだったのだという結論を得た。海からの風を浴びながら、ゆっくりと体調を回復させよう。
さて大湊線である。イメージとして、すぐそばの北海道の原野にも匹敵する荒涼とした風景が広がっているのではないかと想像していた。案の定、北野辺地を過ぎて見える森や林や灰色の海…有戸あたりまで来ると、空は曇っているというより濃霧に覆われているようにも見え、一気に北海道の東部までトリップしたような感覚に陥る。索漠とした土地の表情は、さいはての地にふさわしいものだ。水田や畑もないことはないが、林や草原の占める割合のほうがずっと大きい。
薄いブルーの大海原が広がるようになる。そういえば今朝のテレビで、青函連絡船で集団食中毒が起きたというニュースが報じられていた。ゴミが目立つ砂浜は海水浴場としては整備されていないのだろう、人の気配はほとんどいない。それでも列車が進むにつれ、青空が戻り海の色が濃くなると、泳ぐ人も目につくようになる。もっとも、車内にはもとから冷房はおろか扇風機さえないし、いつの間にかみんな窓を閉めきっている。泳ぐにはかなりつらい気候のはずだ。陽射しが強くなり海が見えなくなったところで、やっと有戸の次の駅、吹越に到着した。
松林が目につく沿線。案外暑い陸奥横浜。少しウトウトしたが、目を覚ましても前と同じような風景が展開している。というか、陽射しが強いのになぜ誰も窓を開けないのだ? 目で訴えたら窓際の乗客がやっと窓を開け、風を入れてくれた。有畑という駅は見過ごしたのだろう。近川に着いてしまった。この駅もそうだし、次の金谷沢も然りだが、おしなべて松林をバックに従える駅ばかりである。
ずっと並行して走っていた国道沿いに、自動車ディーラーの営業所が目立つようになる。赤川ではたまたまなのか、駅名表示板が上下ひっくり返されていた。下北駅は大畑線を分岐する駅のせいか、この線では屈指の規模を誇る駅。
ラジオは甲子園高校野球の試合を流している。広島県の広島商業が沖縄県の興南高に逆転勝ちした、という結果だった。川を渡って市街地に入るかと思ったら、海側は荒涼たる風景のままだった。
列車は二股のひとつの端の大湊までいったん進みながら、その後下北まで戻り、さらに同じ列車が乗り換えなしで大畑線に入り、二股のもうひとつの端、終点の大畑を目指すという運用である。大湊では四分間の間に前一両を切り離し、進行方向を逆にして発車。意外と大湊で降りる人は少なかった。自分もお腹が空いていたが、昼食を買うことは断念、降りることも諦めた。
製材所やセメント工場の脇を通って下北に二回目の停車。いよいよ大畑線に突入する。右側と左側の車窓がだいぶ異なる。海老川で女子高生たちが大勢乗り込む。次の駅はむつ市の中心地、田名部。駅の大きさのわりに降りる人は多い。余談だが、1959年に大湊と田名部が合併したときの当初の名前は、「大湊田名部」だったそうだ。後年の銀行合併劇のような、それぞれの覇権争いが垣間見える市名は翌年早くも、日本で初めてのひらがなの市「むつ」に改められている。
田名部を過ぎるといっそう、荒涼とした景色に。時折ひょっこりと沼が現れたりもする。霧もかかってきて、まるで前年の根室本線の東端部に乗ったときのような、やるせない寂寥感がこみ上げてくる。樺山という無人駅では、乗降がなかった。窓を開けていると、今度はむしろ寒ささえ覚える。陸奥関根も樺山と同じような無人駅。家のあるところに駅があるというのも、まさに道東を思わせる。再び海が見えて川代。ここもむつ市である。このあたりから、なぜか田畑や集落が密集してくる。ねぶたの張りぼてが置かれた正津川。次が終点の大畑か。濃霧のかかった津軽海峡の潮風が頬にあたる。港が見える。
大畑駅にはスタンプは置かれてなかったが、予想に反して売店はあったので、ビスケットと「北海道ホワイトミルクチョコレート」を合計300円で買う。往路よりも潮の匂いがきつく、海鳥が飛び交う陸奥湾を見ながら、予想以上に甘ったるいホワイトチョコをむさぼるように食べる。海老川で空が少し明るくなる。
大畑線の上り列車は大湊止まりで、野辺地方面への列車出発までには三十分以上の待ち時間があったが、同じ列車に乗っていたほとんどの乗客が、同じ待合室で待つというのもなんだか気恥ずかしい。外に出ようとしても、暇をつぶせる場所はなさそうだ。前の年、根室本線の厚床駅で、三十分あまりの待ち時間を、やはり所在なげに過ごしたことを思い出す。もっとも、こんなに人は多くなかったが。
野辺地行が出発するやいなや、日が照りだした。同じ駅を通ること四度目、下北駅も初めて「晴れ」の状態で停車。しかし、せっかく海側に席を取ったにもかかわらず、前半は熟睡モードに。気づいたら有畑で、陽射しは結構強くなっている。日は傾きかけているのに、泳いでいる人はかえって増えている。有戸ではまた曇ってしまった。
野辺地でも一時間ほどの待ち時間がある。高校野球は津久見-佐賀商という九州勢同士の試合を流していた。私は大部分を読書に費やしたが、スタンプも押した。「下北半島の入口」のほうを選んだが、あとで「野辺地防雪原林」のスタンプにすればよかったと後悔した。当時走っていた、南部縦貫鉄道の駅舎の背景にたたずむ防雪原林の風情はまことに美しく、日本で一番好きな駅といえば野辺地といえるかもしれないほどに心に残る駅となってしまった。
「くりこま6号」は五分遅れで到着。なかも満員で、八戸まで立っていた。あとは読書に没頭した。
日帰りとはいえ、結構疲れてしまった下北半島往復旅行であるが、明日からはいよいよ、家を離れ東北・北海道の旅に出る。
<今日の行程>
急行くりこま1号-1120野辺地1125-1317大畑1322-1358大湊1432-1552野辺地1656急行くりこま6号-(以下略)