前日の朝と同様に、同室の人たちは5時前からゴソゴソと身支度を始めていたよう。そして私といえば、これまた前日の朝と同じく、6時頃からゆっくりと動き始めた。
ここの朝食はバイキング形式。サマーレタス、ゆで卵、ゆでモヤシ、トマト、きゅうり、スイカ、アスパラガスなどにドレッシングを絞って食べる。主食はコッペパン、それに飲み物はやはり牛乳。しかし牛乳を入れるためのカップが人数分に足りず、私を含め皆が自分のカップを得るために、ほかの人の食事が終わるのを待っている状態であった。
水戸から来た二人連れと、都内の17歳の子とおしゃべりしながら、バスに乗り駅へ。一時間ほどの列車待ちの時間は、17歳の子とステーションデパートをぶらついたり、西武で洋服やマスコット人形を見たりした。
10時40分、急行「かむい8号」へ。もうすっかり見飽きた感のある函館本線沿線(特に砂川-旭川間)。限りなく曇り空に近い空に、赤白二本の煙突がニョッキリと立つ豊沼駅までは覚えていたが、また美唄あたりまでウトウトしてしまった。
岩見沢で室蘭本線に乗り換え。万字線以来のレンゲの花が風に揺れる志文駅を過ぎ、田んぼや麦畑の広がる平原地帯を列車は突っ走る。三駅連続「栗○」駅を過ぎる。
ここで気になっていたのは、三、四日前に札幌のユースホステルでこしらえた虫さされの跡。赤アザが何カ所にも広がってしまっている。そういえば釧路でこさえた膝のアザも治るのに一週間を要したし、ちょうど一週間前に遠軽のフィールドアスレチックで負った左手の傷もだいぶ良くなってきたところ。虫さされについても、もうちょっと様子を見ることにしよう。
当時すでに、苫小牧-札幌間の鉄道輸送の主役の座を千歳線に明け渡していた室蘭本線。何しろ急行すら走らなくなってしまったのだから、もっとローカル然とした光景を想像していたのだが、突然に複線区間が現れたり、夕張線に乗り換えるために下車した追分駅が存外に新しく大きな駅だったことに驚いたりした。しかし何より疑問にすら感じたのは、駅名表示板に「あびら、ちとせくうこう」とあったこと。いつの間に、追分から千歳空港駅(現在の南千歳駅。1992年に開業した新千歳空港駅とは異なる)までの路線が開通したのだろう。地図にも時刻表にも載っていないじゃないか。
その謎は、駅前の食堂でざるそばと氷いちご(計530円)の昼食をとっているときに氷解した。今年10月より、千歳空港までの新線が開業すること。追分駅にも特急が停まるようになること…夕張線の紅葉山-登川間が7月1日に廃止になり、どうなることかと思われた追分駅の行く末だが、新しい路線の要となって活躍するようになるのだとみてとれた。そうなるとまた、この新線を踏破するために、あらためて来道しなければならないのか。
食後は「数学のおもしろさ」を読み、50円のポケットティッシュも購入。
強い陽射しのなかを、夕張行は走る。
右側の車窓に並行する窪地は、明らかに複線化のためのスペース。時々、現実のレールが現れたりする。各駅のホームなどもかなり改装が進んでいる。夕張線自体は廃止されない。むしろ根室本線との連絡線として重要性が増すのだ。しかし盛と衰の両方が、重くのしかかる線であることには変わりがない。
川端-滝ノ上間で澱みのような川を認め、その後は白く濁った川を渡る。「巨大」という形容すらふさわしい清水沢駅。たとえ南大夕張への私鉄が分岐しているにしても(結局はこの大夕張鉄道に乗る機会を失ってしまった私。当時は国鉄線に乗ることしか目がなく、私鉄は無視をし続けた)。そして、山あいの谷川沿いを走るうちに鉱山関係の建物が見え、古い住宅やボタ山も見え、鉱山の町からレジャー都市(?)に変容を遂げる途上にあるらしい町、夕張に到着した。ひと言で言えば「賑やかなオールドタウン」と申し上げればいいのだろうか。
スタンプを押すなり、折り返しに乗ってしまった私だが、洗濯物がはためくガードレール、古色蒼然とした街並みにあって新しさが際だつ市役所の建物を眺めているうちに、この町を通過するだけというのはいかにも惜しい、機会があれば再訪したいとも思い始めていた。しかしこの時の私には、夕張の町以上に見ておきたい景色があった。
往路では通過した紅葉山駅に、途中下車してみた。従来なら紅葉山-楓-登川といく夕張線の支線に乗るために降りる必要があったが、その支線が一カ月前に廃線になったので、必ずしも降りなくてもよかった。でも私は、この紅葉山駅で新しい路線のことなどを確認したかったのである。
まず新しい路線は石勝線といい、楓、占冠、石勝高原の三駅が開設されること。支線格だったはずの区間が形を変えて「本線」相当に昇格し、逆に紅葉山-夕張間は石勝線の支線のような立場になり下がる。皮肉にも紅葉山-登川間が鉄道営業を辞めた7月1日に新しくなったばかりの紅葉山の駅舎には、今なお万国旗が飾られ、駅前の再開発工事も進んでいるようだ。それにしても私には、旧木造駅舎のほうがどうしても視界に入ってしまう。
もちろん、足を延ばす。中に入ることはできなくなっていたが、あの国鉄駅特有のトイレとか、コーラの空き缶類、シャッターの下ろされた売店などがそのままに残されていた。登川行の「代行」バスは出た後だったが、国鉄が運行するのではないからと、はなから乗る気はなかった。むしろ、この古い駅舎でもう少しゆっくりしていたかった。
旧駅のプラットホームに出てみる。昭和55年10月1日、千歳空港駅開設! 特急ライラック号誕生を知らせるポスター。連絡橋はわずか一カ月でこのようになるのかと思うほどのクモの巣。ギシギシ鳴る木の床板。ヒメジョオンなどの背の高い草が生え始め、いずれは赤錆に覆われるであろうレール…。特急なども停まるという新しい駅ができたことを、不満に思うわけではない。ただ昔の駅舎がすぐそばにあったというのが、私の胸を強く打ったのだ。山々に囲まれた静かな里に特急の停車音が響くとき、この木造の建物は果たして残っているのだろうか。
そうだ。どうせ石勝線が開業したら、またここへ来なければならない。その時は夕張市のSL館(車内にちょうどパンフレットが落ちていた)なども見るために夕張にも行きたいし、この紅葉山駅にも再訪したい思いはある。
「あれは雪除け?」と思われるドーム状のものを見ながら、ひとまず紅葉山に別れを告げる。その時の私の頭の中には、いろんな気持ちが渦巻いていた。朽ち果てていくあまたの道内ローカル線を尻目に、開業する石勝線への妬みにも似た羨望。いったい石勝線とは、ほかの赤字線の歴史に終止符を打ってまで開通する必要はあるのだろうか。たとえ釧路方面から特急が直接千歳空港駅に乗り入れるようになっても、北海道の国鉄線はすべて赤字であることに変わりはない。これ以上赤字線を増やしてどうするのだ。今まで鉄道の通ってなかった占冠にはいきなり急行まで停まる駅ができ、登川は姿を消した。楓はまた石勝線の駅として復活する予定があっても、登川はもう時刻表には載らない…ほかのローカル線の駅にまで思いをめぐらすと、やはり自分としては、「ローカル線は極力廃止しないでほしい」という結論に帰すうしてしまうのだ。
追分からまた室蘭本線に乗り、夕暮れの勇払原野を眺めながら何日ぶりかの苫小牧へ。一本松、新苫小牧など、ちんまりとした苫小牧港開発の貨物線の駅が見える。苫小牧で降り、ダイエーやサン・プラザを回った後に、駅弁売場でシシャモチップますずしと迷ったあげく、サーモン寿しを夕食用に買う(ジュースと一緒で600円)。
苫小牧からは特急「ライラック13号」。たとえ自由席とはいえ、電車特急というのはやはり気分がいい。原野が続き、空港の施設がチラリと見えて千歳空港駅。できてから一年経ってないだけに、さすがに真新しい。飛行機に乗ってきたと思われる人たちが大勢乗り込んできた。当時はまだ、飛行機は未体験の私であったが、今度来るときはスカイメイトを使って、飛行機もいいかと思ったりして。そう、石勝線に乗るときは空路を使うほうが便利なのだろうと。
ライラック号が千歳空港駅を発車した際、一機がまさに空港に着陸せんとしていた。飛行機から見えるようにとのことだろう、大きな看板も目立つ。と思ったら、今度は全日空機とおぼしき機体が千歳へ向かおうとしている。茜色に染まった雲と、山のシルエットはまるで名画のように。
札幌で下車したが、実はこの日泊まるところは、この時点で決めてなかった。それでも四日前のことを考えれば、なんとかなるだろうとは思っていた。ただ、その時と同じ宿には泊まりたくなかった。隣室の騒音と暑さに、寝付かれなかったあの夜を思うと。
電話は二軒目のユースホステルで空室を見つけた。地下鉄を乗り継いで行く必要はあるが、あのユースに泊まらなくて済むだけでも嬉しかった。それに札幌の地下鉄は、外装も内装も素敵。木目の内装の南北線、札幌の名所などが内壁に描かれた東西線。外装はクリーム色やライトグリーンが基調で、音も東京のよりは静かだ。駅の案内も東京と同じ、いや、東京より洗練されているといってもいいくらい。
しかし、最寄り駅からバスに乗る必要があり、バスが来るまで待つこと十数分。そのバスも、中乗り前降りというところは異なるが、均一料金制は東京と一緒というものであった。
ようやく到着したユースで通された部屋は、またもや関西のグループが主流で、あまり話ができなかった。無料の麦茶を三杯も飲む。「数学のおもしろさ」を読み、この夜は順調に眠りに入ることができた。
<今日の行程>
旭川1040急行かむい8号-1155岩見沢1206-1254追分1359-1511夕張1516-1543紅葉山1653-1726追分1729-1807苫小牧1840L特急ライラック13号-1935札幌