この日の起床時刻は5時半厳守。最初に目覚めたのは4時半。次に気づいたのが5時半だったが、なぜか「ゆっくりしてもいいかな。駅からも近いことだし」と6時20分出発を目途にフロントへ行ったら、誰もいない! それでもホテルのほうには人がいるかもしれないと館内をかけずり回っているうちに時間がなくなり、いつの間にか開いていたユースのフロントから会員証を受け取り全速力でダッシュ! しかし国道は上り坂。停車していた列車に合図して、1分遅らせてやっとこさ乗り込めた。それにしてもこんな日ばかりが続いては…。
朝特有の曇り空の中、森林地帯を走り抜けて平地の和寒へ。1分遅らせたといっても、急行列車に抜かれるためこの駅には35分以上も停車するのである。和寒発車後は再び山がちになり、東六線あたりからは桑の実とおぼしき赤い果実をたわわに付けた木を見かけるようになった。「市」にしてはこぢんまりとした士別。なよろ駅で降りようと思っている乗客は一瞬ハッとするに違いない「たよろ(多寄)」の駅名標(当時はどこでも、ひらがなのほうが大きく書かれていた)。リンドウのような花も見えた瑞穂駅。なんだかんだのうちに、無事に予定通り名寄で降りることができた。
パンとコーヒーとコーヒー牛乳の組み合わせ(325円)を朝食にしながら、改札口の行列をボンヤリ眺めていたが、なんとそれは自分が乗るつもりだった深名線の改札であったことに発車間際に気づき大あわて! またここでも走る羽目になった。
もちろん行列にいたすべての人が深名線に乗り込んだわけではなく、わずか一両の半分も座席は埋まらない。ここもかねてから廃止対象の筆頭に挙げられていた路線で、妙に納得させられる車内のようすであったが、同時に「深名線はいいよ」なんて、紋別のユースホステルで話をしていた男性の言葉を思い出し、車窓への期待が高まる。
最初は田畑のある平地。天塩弥生を過ぎたあたりから山の中へ。北母子里までの長い区間にトンネルあり、白樺林あり、なかなかに風情たっぷり。30分ほどかかってやっと到着した北母子里で朱鞠内湖が見えてくる(しかし湖というより、川のような面持ちであった)。湖面には木の杭が立ち並び、湖畔は完全な湿地帯だ。白樺駅近くには確かに白樺が多かったが、ほかの木もたくさんあって雑木林を呈しており、思っていたような景色とは違っていた。
ふと周囲を見まわすと、私のほかには国鉄職員らしき制服姿の男性がふたりきり。つまり、乗客は私だけ! 失礼ながら、これは間違いなく廃止だと心の中で思った(しかし深名線は冬期の代替交通機関未整備のために、存外に長く1995年まで運行を続けることになる)。
蕗ノ台駅も白樺駅と同様、巨大フキもあるにはあったがあまり目立たず、ほかの植物の群生に紛れているといった格好だった。そして湖畔駅。ここも駅名に反し、湖がすぐそばに迫っているわけではない。ただ眺望は開けており、子供たちの姿もホームに見えたが、貴重な列車のはずなのになぜか乗り込まず。結局その列車の終着、朱鞠内まで乗客は私ひとりのみであった。
北海道屈指の豪雪地帯を走る深名線は、朱鞠内を境に名寄側と深川側で完全に車両運用を分離しており、夏でも中間駅の朱鞠内で乗り換えを余儀なくされる。さて深川行のほうには遠足帰りの子供たちも大勢乗り込んだが、座席占有率は八割ほど。名寄側に比べれば、雨竜川に寄り添うように走るこちらの列車からの風景のほうが水辺という感じがして、白いカリフラワー状の花が密集して咲いているようすや、建物ですぐそれとわかる政和温泉などの眺めを楽しむ。しかし雨煙別では、陽射しの中に蝉時雨が降り注いでおり、またまた駅名からの連想を裏切る光景に出くわしてしまった。
上幌加内、沼牛、鷹泊、下幌成…山と田んぼの景色を交互に繰り広げながら、終点を目指す深名線の列車。はからずも、車内の少年たちが聞いていた横浜銀蝿の曲がBGMとなった。
昼下がりの陽射しはあくまで強く、白く乾いた風景をさらす深川の駅前。「ふかがわ」と書かれたアーチの下に「内山田洋とクールファイブショーご招待セール」、そして商店街にはお祭りでもあるのだろうか、けばけばしい限りの飾りがあちこちにしつらえてあり、かえって暑苦しさを助長している。
そんな駅前を後に12時09分発、急行「宗谷」に乗り込む。下車したのは砂川駅。深川に比べてもさほど大きくない街並みで、賑わいもそこそこ。「銀座通り」と大仰な名前の付いた商店街は、あっという間に終わってしまった。
荷物を400円で預け、ブラブラしたあげく駅前のレストランでナポリタンとレモンジュースを賞味(650円)。店内には1979年に来店したと思われる秋吉久美子さんのサインと、昭和56年7月16日、つまりこの日のわずか二週間ほど前に「駅」のロケで訪れたという俳優さんのサインが…いったい誰だろう。「○○○彦」とかろうじて読めたのだが。
傍らで、黒白まだらの猫が顔を洗っている。
13時38分発歌志内行に乗り込む。石炭の山がポツポツと見え、過去を物語るような旧い家屋と新しい住宅が車窓に入り交じる。西歌・神威・歌神と韻を踏むような駅が並ぶ区間の真ん中、神威の駅には「交通安全」と書かれた舟が置かれていた。
歌志内ではスタンプ押しもそこそこに、付近の風景もろくに見ずに折り返しに乗り込んだが、そこで「NBC」と書かれた機材を抱えたお兄さんたちとすれ違った。帰りの車窓には赤トンボの群れが、細々と操業を続ける炭鉱の町の上を泳いでいる。
砂川に着いてから一時間以上の待ち時間。書店でセブンティーンや週刊明星のページをめくった後は、駅の待合室でうだるような暑さの中、ボケーッとひとときを過ごした。
函館本線の、通称「上砂川支線」を走る上砂川行のほうは、最初のうちは農村風景や商店街の風景が主体であまり炭鉱路線という感じがせず、終着駅の上砂川直前でいきなりボタ山が現れるという趣向。折り返し出発まで20分ほどあった上砂川駅前は、商店街がなかなかに活気にあふれていた(のちにこの上砂川駅は、架空の駅「悲別」の名前で、その存在が一躍全国に知られることになる)。そしてここにも、陽射しに光る川の上に赤トンボの大群が舞い、もう秋なのかという風情が漂っていた。
「楽しい旅は国鉄で、どこえ行こうかこの夏を」
妙な日本語の垂れ幕と、「札幌で行われたコーラの調査で45%の人がペプシを選びました(当時流行っていたこのCM。日本各地編が作られたそうだ)」というポスターが印象に残った砂川から出て、滝川行列車に乗り終点で降りてみる。実はこの時までその日の宿が決まらず途方に暮れていたところだった。深川、砂川、滝川で探すのは辛そうだ。やはり札幌へ行くしかないか。とにかく札幌へ行ってみよう。
18時09分発特急「北海」に乗り、窓の外を見る余裕もなく、時刻表からビジネスホテルの電話番号を拾いメモ帳に書き取るうちに、中学の修学旅行以来の街に到着。なんというか、札幌の街も駅もその時は意外と小さく感じた。大都会・東京の生活を少しでも体験してしまうと、北の百万都市でさえこんな風に思ってしまうのかもしれない。
すぐさま公衆電話に向かい、ホテルに電話を入れようとした時に「そうだ。ユースホステルにキャンセル待ちは出てないだろうか」と。当初はユースに泊まるつもりであったが、札幌に四軒あったユースがいずれも満室ということで断られ、それでは飛び込みで別のビジネスホテルにでも泊まるしかないかと覚悟していたところだったのだ。果たして駅に最も近いユースで「空きが出ました」と電話口の向こうから返答をいただき、かねてからの第一希望であった宿に、幸運にも泊まれることになった。
地下街の喫茶店でチキンライスセット(580円)の夕食をとった後に、そのユースへ。駅から徒歩圏内にもかかわらず、周囲はとても静かな環境に恵まれている。
三階の十六人(!)部屋に通された後、切れていた石鹸を買い忘れていたことに気づき、売店で20円のものを買い求める。お風呂もシャワー付き、部屋まで土足で上がれるいかにも都市型のユースホステル。そのせいか同室の人たちはグループごとにかたまってる感じで、気兼ねなく話ができる雰囲気ではなく、久々に疎外感を覚えた。でも気を取り直し、70円で買ったコーラ(コカかペプシか忘れましたが)を飲み、10時半頃におやすみなさい!
…といいたかったところだが、その後隣室の男性の大声(女性の声も混じる)が午前1時頃まで続き、なかなか寝付かれなかった。「うるさい」と壁に向かって小声でつぶやいても、もちろん梨のつぶてにしかならない。加えて大都市ならではの(?)暑さもあり、せっかくの一夜を、悶々とした気持ちで過ごさねばならなかった。
<今日の行程>
塩狩0627-0805名寄0829-0937朱鞠内0945-1146深川1209急行宗谷-1234砂川1338-1405歌志内1411-1436砂川1559-1615上砂川1636-1649砂川1703-1712滝川1809特急北海-1913札幌
朝特有の曇り空の中、森林地帯を走り抜けて平地の和寒へ。1分遅らせたといっても、急行列車に抜かれるためこの駅には35分以上も停車するのである。和寒発車後は再び山がちになり、東六線あたりからは桑の実とおぼしき赤い果実をたわわに付けた木を見かけるようになった。「市」にしてはこぢんまりとした士別。なよろ駅で降りようと思っている乗客は一瞬ハッとするに違いない「たよろ(多寄)」の駅名標(当時はどこでも、ひらがなのほうが大きく書かれていた)。リンドウのような花も見えた瑞穂駅。なんだかんだのうちに、無事に予定通り名寄で降りることができた。
パンとコーヒーとコーヒー牛乳の組み合わせ(325円)を朝食にしながら、改札口の行列をボンヤリ眺めていたが、なんとそれは自分が乗るつもりだった深名線の改札であったことに発車間際に気づき大あわて! またここでも走る羽目になった。
もちろん行列にいたすべての人が深名線に乗り込んだわけではなく、わずか一両の半分も座席は埋まらない。ここもかねてから廃止対象の筆頭に挙げられていた路線で、妙に納得させられる車内のようすであったが、同時に「深名線はいいよ」なんて、紋別のユースホステルで話をしていた男性の言葉を思い出し、車窓への期待が高まる。
最初は田畑のある平地。天塩弥生を過ぎたあたりから山の中へ。北母子里までの長い区間にトンネルあり、白樺林あり、なかなかに風情たっぷり。30分ほどかかってやっと到着した北母子里で朱鞠内湖が見えてくる(しかし湖というより、川のような面持ちであった)。湖面には木の杭が立ち並び、湖畔は完全な湿地帯だ。白樺駅近くには確かに白樺が多かったが、ほかの木もたくさんあって雑木林を呈しており、思っていたような景色とは違っていた。
ふと周囲を見まわすと、私のほかには国鉄職員らしき制服姿の男性がふたりきり。つまり、乗客は私だけ! 失礼ながら、これは間違いなく廃止だと心の中で思った(しかし深名線は冬期の代替交通機関未整備のために、存外に長く1995年まで運行を続けることになる)。
蕗ノ台駅も白樺駅と同様、巨大フキもあるにはあったがあまり目立たず、ほかの植物の群生に紛れているといった格好だった。そして湖畔駅。ここも駅名に反し、湖がすぐそばに迫っているわけではない。ただ眺望は開けており、子供たちの姿もホームに見えたが、貴重な列車のはずなのになぜか乗り込まず。結局その列車の終着、朱鞠内まで乗客は私ひとりのみであった。
北海道屈指の豪雪地帯を走る深名線は、朱鞠内を境に名寄側と深川側で完全に車両運用を分離しており、夏でも中間駅の朱鞠内で乗り換えを余儀なくされる。さて深川行のほうには遠足帰りの子供たちも大勢乗り込んだが、座席占有率は八割ほど。名寄側に比べれば、雨竜川に寄り添うように走るこちらの列車からの風景のほうが水辺という感じがして、白いカリフラワー状の花が密集して咲いているようすや、建物ですぐそれとわかる政和温泉などの眺めを楽しむ。しかし雨煙別では、陽射しの中に蝉時雨が降り注いでおり、またまた駅名からの連想を裏切る光景に出くわしてしまった。
上幌加内、沼牛、鷹泊、下幌成…山と田んぼの景色を交互に繰り広げながら、終点を目指す深名線の列車。はからずも、車内の少年たちが聞いていた横浜銀蝿の曲がBGMとなった。
昼下がりの陽射しはあくまで強く、白く乾いた風景をさらす深川の駅前。「ふかがわ」と書かれたアーチの下に「内山田洋とクールファイブショーご招待セール」、そして商店街にはお祭りでもあるのだろうか、けばけばしい限りの飾りがあちこちにしつらえてあり、かえって暑苦しさを助長している。
そんな駅前を後に12時09分発、急行「宗谷」に乗り込む。下車したのは砂川駅。深川に比べてもさほど大きくない街並みで、賑わいもそこそこ。「銀座通り」と大仰な名前の付いた商店街は、あっという間に終わってしまった。
荷物を400円で預け、ブラブラしたあげく駅前のレストランでナポリタンとレモンジュースを賞味(650円)。店内には1979年に来店したと思われる秋吉久美子さんのサインと、昭和56年7月16日、つまりこの日のわずか二週間ほど前に「駅」のロケで訪れたという俳優さんのサインが…いったい誰だろう。「○○○彦」とかろうじて読めたのだが。
傍らで、黒白まだらの猫が顔を洗っている。
13時38分発歌志内行に乗り込む。石炭の山がポツポツと見え、過去を物語るような旧い家屋と新しい住宅が車窓に入り交じる。西歌・神威・歌神と韻を踏むような駅が並ぶ区間の真ん中、神威の駅には「交通安全」と書かれた舟が置かれていた。
歌志内ではスタンプ押しもそこそこに、付近の風景もろくに見ずに折り返しに乗り込んだが、そこで「NBC」と書かれた機材を抱えたお兄さんたちとすれ違った。帰りの車窓には赤トンボの群れが、細々と操業を続ける炭鉱の町の上を泳いでいる。
砂川に着いてから一時間以上の待ち時間。書店でセブンティーンや週刊明星のページをめくった後は、駅の待合室でうだるような暑さの中、ボケーッとひとときを過ごした。
函館本線の、通称「上砂川支線」を走る上砂川行のほうは、最初のうちは農村風景や商店街の風景が主体であまり炭鉱路線という感じがせず、終着駅の上砂川直前でいきなりボタ山が現れるという趣向。折り返し出発まで20分ほどあった上砂川駅前は、商店街がなかなかに活気にあふれていた(のちにこの上砂川駅は、架空の駅「悲別」の名前で、その存在が一躍全国に知られることになる)。そしてここにも、陽射しに光る川の上に赤トンボの大群が舞い、もう秋なのかという風情が漂っていた。
「楽しい旅は国鉄で、どこえ行こうかこの夏を」
妙な日本語の垂れ幕と、「札幌で行われたコーラの調査で45%の人がペプシを選びました(当時流行っていたこのCM。日本各地編が作られたそうだ)」というポスターが印象に残った砂川から出て、滝川行列車に乗り終点で降りてみる。実はこの時までその日の宿が決まらず途方に暮れていたところだった。深川、砂川、滝川で探すのは辛そうだ。やはり札幌へ行くしかないか。とにかく札幌へ行ってみよう。
18時09分発特急「北海」に乗り、窓の外を見る余裕もなく、時刻表からビジネスホテルの電話番号を拾いメモ帳に書き取るうちに、中学の修学旅行以来の街に到着。なんというか、札幌の街も駅もその時は意外と小さく感じた。大都会・東京の生活を少しでも体験してしまうと、北の百万都市でさえこんな風に思ってしまうのかもしれない。
すぐさま公衆電話に向かい、ホテルに電話を入れようとした時に「そうだ。ユースホステルにキャンセル待ちは出てないだろうか」と。当初はユースに泊まるつもりであったが、札幌に四軒あったユースがいずれも満室ということで断られ、それでは飛び込みで別のビジネスホテルにでも泊まるしかないかと覚悟していたところだったのだ。果たして駅に最も近いユースで「空きが出ました」と電話口の向こうから返答をいただき、かねてからの第一希望であった宿に、幸運にも泊まれることになった。
地下街の喫茶店でチキンライスセット(580円)の夕食をとった後に、そのユースへ。駅から徒歩圏内にもかかわらず、周囲はとても静かな環境に恵まれている。
三階の十六人(!)部屋に通された後、切れていた石鹸を買い忘れていたことに気づき、売店で20円のものを買い求める。お風呂もシャワー付き、部屋まで土足で上がれるいかにも都市型のユースホステル。そのせいか同室の人たちはグループごとにかたまってる感じで、気兼ねなく話ができる雰囲気ではなく、久々に疎外感を覚えた。でも気を取り直し、70円で買ったコーラ(コカかペプシか忘れましたが)を飲み、10時半頃におやすみなさい!
…といいたかったところだが、その後隣室の男性の大声(女性の声も混じる)が午前1時頃まで続き、なかなか寝付かれなかった。「うるさい」と壁に向かって小声でつぶやいても、もちろん梨のつぶてにしかならない。加えて大都市ならではの(?)暑さもあり、せっかくの一夜を、悶々とした気持ちで過ごさねばならなかった。
<今日の行程>
塩狩0627-0805名寄0829-0937朱鞠内0945-1146深川1209急行宗谷-1234砂川1338-1405歌志内1411-1436砂川1559-1615上砂川1636-1649砂川1703-1712滝川1809特急北海-1913札幌