本来、人は楽をするために一生懸命働く、あるいはそばにいる人を楽にさせるために一生懸命働く。働くの語源が「側(はた)を楽にさせる」ということから来ているのを見ても、経済成長などによって働いた結果、みんなが楽になっていないとおかしい。

 

ところが、特にこの日本は、いまだに長時間労働をしなければまともな生活はできないし、側を楽にさせるどころか夫婦共働き、定年退職後も労働に追われるという世の中になってしまった。

 

その一方、家に閉じこもって何歳になっても働かないひきこもりが増え、高年齢化している。わたしも福祉の一環としてこの問題に向き合ったが、正直解決が難しい問題で手も足も出なかった。わたしはこの、ひきこもりは、働いても楽になれない社会への強烈な反逆のメッセージでないかと思っている。

 

というのも、わたしはもともとは教育学部の人間で、卒業論文を書いている時に、子どもの反逆が、

 

校内暴力→いじめ→ひきこもり

 

と深化しているというメモを発見したからだ。これが意味するところは、子ども(青少年)はいつの時代も大人へ社会の矛盾を突きつけ成長するものだと考えるならば、わたしがこのメモを書いた30年以上前は、管理教育に対する校内暴力が鎮静化され、それと入れ替わるように子どもを自殺にまで追い込むいじめが社会問題化していた。陰湿で深刻ないじめは令和の世の中になっても無くなっていないが、それは大人の社会がピラミッド型の強いものが弱いものに言うことをきかせる社会がずっと続いていることと無関係でないと思う。

 

そして、ひきこもりだ。

これは、働いても幸せになれない自分の両親や社会へのアンチテーゼと考えるのが一番妥当だろう。怠けサボタージュではなく反逆行為だ。なぜなら、普通考えて家でずっと引きこもっているよりは、適当に働いて金を得て遊んだほうが楽しいはずなのに、そうでない行動をとるということはなんらかの潜在的な意志があると考えたほうがしっくりくる。

 

いじめもひきこもりも、本人にとっては地獄であるし、社会的にも放置してはいけないと思う。それには、「いじめはよくない」と言って表面的な関係でいじめる人間をその場だけ罰したり、ひきこもりの青年を無理矢理社会に出して強制労働させたところで解決するか?と言ったらおそらくもっと複雑に悪化することが予想される。

やはり、社会が多様性を認め、誰もが自分を生まれながらに肯定でき楽天的な考えで生きられる世の中にするべきだし、働いてリッチな暮らしをする人がいる一方、ほどほどに働いたり、お金を介さない人間関係で生活が成り立ってる人もいて、その両者が優劣や善悪のない共存関係であるような世の中であれば、いじめや長期間のひきこもりは起きないのではないだろうか?

 

あとは、家族の形態が、

 

大家族→核家族→シングルマザー→未婚一人暮らし

とミニマム化している。

これには、家電メーカーや自動車メーカーなどが少しでも多くの製品を売るために、テレビのトレンディドラマなどを使って、カップルだけの暮らしや一人暮らしのおしゃれさを煽り、大家族のダサさと不自由さ、嫁姑問題、夫婦離婚などのテーマをこれでもかと流して実現させたと言われている。人々が助け合えず、働いてお金を得ないと生活できないシステムであるから、フルタイム労働の側、家事は簡単便利にならざるを得ず、食品添加物、電子レンジ、化学合成洗剤、電力の大量消費、運動しないライフスタイルと、環境にも人間にも最悪な生活様式ができ上がった。

 

大家族には多少不自由な面もあるかもしれないが、親子問題で対立した場合、おじいちゃんおばあちゃんのところに逃げて味方になってくれたり、母親がどうしても働いたり用事で出掛けたい時に気軽に子どもの面倒を見てもらえたりとメリットも多い。宅配便の不在者配達問題もほとんどないし、大家族に一人くらいひきこもりの青年がいたとしても負担なく食わせて、荷物の受け取りや洗濯物の取り込み、子どもの相手くらいはしてくれる。こちらの方が合理的で金がかからないのではないか?家も車も家電も共有だから、そんなに働かなくてもいい。

 

悲惨な事件や騒動が起きている今だからこそ、テレビや新聞などのマスメディアをはじめ、学校教育まで疑い、一人一人が本質を考えて自由に動けるようになるべきではなかろうか?

 

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