わたしは精神医学(メンタルヘルス)というものは似非医学であり病名には科学的根拠がなく、動物占い以下のオカルト業だと散々述べてきた。


精神病名にはっきりとした根拠がないことは、しばしば人間の美貌に例えられる。つまり美人、ブスという言い方をするが、じゃあその定義や基準は何かと問われるとほとんどの人が答えることができないのではないか? つまりは各々の主観だということである。


美人というのは時代によっても変遷する。平安時代の美人が今現れたらお化けのようなものになると思うし、平成や昭和のアイドルの写真なんかを見ると不細工だなと思ったことはないだろうか?


各々、美人とかブスとか思うのは心の中では自由だと思うが、それを理由に公的に権利を与えたり剥奪することはできない。美しいのが良い悪いなのではなく客観的な基準が存在しないからだ。美人とはその時代の平均的な顔だちだと聞いたことがあるが、これとて時代によって変遷する。


精神病名も客観的な基準が存在せず、たとえそれが保険の効く医療の範疇に入っていても、統合失調症(精神分裂病)、双極性障害(躁うつ病)、うつ病、発達障害、神経症、ヒステリーと診断されたとしても、きれいだね不細工だねと言っているのとほぼ変わらず、人によって見方が違うのだから全く相手にしなくていい。ちなみに最初の2つ以外の病名は現在精神医学の病名に存在しない。それを固定した病気だと捉えるのにどうしても無理があるからである。そう診断された事実そのものを否定し、過去から抹消してもいいと思う。これが本当の人権である!


わたしはかつて双極性障害と「診断」され、死ぬまで良くならないが「症状を抑える」薬を飲むように言われ、障害者手帳や障害年金を取ることも考えたが、今専門家として、そういうエピソードは当時も皆無であり、その診断は無効であると確信している。往々にして病気などこの世に存在せず、病名や治療薬が病気を創り出しているので、納得のできない診断をされたら全力でそれを否定することも大切なことである。


ブスと誰かに言われて、それを真に受けて一生をそう思って生きることが果たして正義だろうか?


ところで今から10年前、ある事件が起きた。何が美人で、何がブスか?ということを10秒でわかる出来事が起きた。当時会社をクビになり日雇いのイベントスタッフで食いつないでいたのだが、名古屋栄の人通りの多い所でイベントのビラを撒いてこいと言われ、多くの人が拒否するだろうそのビラを「よかったらどうぞ」みたいな感じで配っていた。


そしたら、一人金髪で顔立ちがはっきりしていてスタイルもいい女性が「ありがとう」と言ってウインクしてもらっていった。(おそらくそのビラはゴミ箱行きだが)


もう一人、遠くからこちらの存在を意識し、何とかビラを手渡されないようあからさまに逃げるように距離をとって去っていった女性が続いて現れた。オタク風の風貌だった気がする。


その瞬間、美人、ブスという概念が天からのメッセージのようにハッキリした。前者が美人、後者がブスだと。しかしこれとて個人の主観なのだが、ものごとの捉え方がハッキリした。


美人、ブスというものが生得的で変更不可能なものではなく、態度や生き方の中で創られるのではないか?美人は性格がいい、ブスは性格が悪いという言われ方もするが、その逆が風貌を創っていることも有り得る。すべては波動なのだから思考が現実化する。


前述の二人も極端にどちらかが美形でどちらかが醜形というわけではなかった。人に対しての態度、生き方、礼儀、許容力、感じ良さのようなものが大きい。


精神病名と人間の美醜、一見結びつきそうもないのだが、よく似ていて奥が深い。


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長い間絶版になっていた本がようやく再販された。

絶版になる本には2つタイプがあると思う。1つは内容が芳しくなく絶版になる本。もう1つは内容は素晴らしいが、その真実が世に出ると権力者や利権を得ている人が困るので絶版に追いやられる本。わたしは、序説とついているのだから書きかけのメモ程度なのかな?と思って前者だと思っていたのが、いやいや物凄い内容でこれは間違いなく後者のパターンだと確信した。


まだまだ蔓延る肉食や人間中心主義を痛烈に批判している点も権力者だけでなく、圧倒的大多数の肉食者や環境活動家、人権活動家、知識・文化人の反感を買った部分もあると思う。しかし言論の自由という立場から、こういった「極端な」主張であっても絶版にしたままにするのではなく異論として残し、お互い議論し高めていくのが本来の学問であり運動であり言論界だと思う。


それゆえ、今回の再販化は非常に意義が深い。


そして何と言ってもこの本が最初に発表されたのが1985年9月11日。何と40年前だ。太田龍の書籍の中でも最初のほうの部類だ。当時は反戦・反核運動が左翼リベラルの中心にいて、環境問題は公害から地球規模のものにシフトしている時期、反原発運動もカルトで、人権は同和差別や朝鮮人差別に限定されていてグローバルな視点は皆無だった。ましてや犬猫を保護する程度の動物愛護運動はカルト中のカルトであり、サラリーマンのや有名漫才家から「頭のおかしい人」の典型例としてネタにされた。わたしも子ども自分覚えているが、今やリベラルの顔となったサンデーモーニングの司会者、関口宏は当時、人気エンターテイメント番組「クイズ100人に聞きました」で出演家族のお父さんがベジタリアン(当時はほとんど日本に存在しなかった)と知るやいなや「お父さん死にますよ」と全国ネットで明言した。ま、日本のアカデミズム、リベラル、言論界はそんな程度のレベルだし、今もほとんど変わっていない。当時は資本主義vs共産主義、アメリカvsソビエト連邦の時代で、進んだ考えとは、ソビエト型の社会主義は非民主主義で良くないから市民が運動に参加し、それがやがて社会主義や共産主義になっていくという考えがもっとも進んだ思想であり、左対右の二次元の二項対立構造でしか多くの文化人はものを考えられなかった。その時代に太田龍は本書を通じて次のようなメッセージを発表した。


・マルクスの共産主義は資本主義と同じ人間中心主義の環境破壊思想である

・人権の背後には人間中心主義があり、人間の欲望が無制限に肯定されることによって、動物や植物が犠牲となり、地球を滅ぼすところまで行き着く

・農業も環境を破壊する人間の業だが、動物を家畜にすることは、より環境破壊を招くだけでなく、去勢や不自然な飼育など生命倫理を大きく狂わす

・動物の家畜化は、戦争の捕虜や征服民を通して人間にも応用され、奴隷制度の誕生となった

・ヨーロッパ市民革命の自由・博愛・平等は人間にだけ向けられたものであり、人類のさらなる欲望の暴走によって地球環境は深刻に進むこととなった

・日本は奈良時代から明治直前にかけて、ほとんど肉を食べない、魚介類のみの菜食文化が続いた。ゆえに欧米人や欧米文化と一線を画し、今は欧米文化に洗脳されているが、生命尊重・自然共存の大きなポテンシャルを備えている

・家畜に端を発する生命操作は、遺伝子組み換え、動物実験、バイオ生命技術にまで発展し将来に禍根を残す

・人類は動物を家畜化したつもりが、人類自体が権力者によって「家畜化」されていることに気づいていない


当時の「進歩的」な考えとは異次元レベルの生命尊重・自然回帰をベースにした主張である。極論、先走りしすぎと思われるかもしれないが、40年たった今、環境運動や人権運動は、大企業や権力者によって大きく方針を歪められ進歩どころか後退している現状を目の当たりにすると、太田龍の言うように、片手落ちの活動であり本質や根本を考えなかった結果と言える。


もっともこの頃の太田龍はデイビッド・アイクと会う前であり、ユダヤ金融資本や爬虫類型宇宙人による人類支配など、一般からは「陰謀論」として敬遠される真実に目覚めておらず、人類の起源をサルに求めるなど一般の生物学・歴史から脱していない点もあるが、それはさておき、当時これだけの主張ができたということだけでもすごいことである。


温暖化二酸化炭素説が出てくる前は、世界的にも環境保護(←太田龍はこの言い方を嫌う)運動は、野生動物の保護であり、動物愛護であり生命尊重だった。ところが2000年の京都議定書あたりをきっかけに、環境保護運動とは、気候変動のことであり二酸化炭素の抑制ということに単純化され金銭化され国家や国際機関の支配の道具となってしまった。その一方地球規模の環境破壊は取り返しのつかないところまで行ってしまった。


太田龍が40年前に指摘したように、家畜動物一頭育てるのに莫大な農作物と水、エネルギーが消費されるので、真に地球環境を守るには、肉食を控え穀菜食に切り換えるべきなのに、どんなに進歩的で賢い環境活動家や人権活動家も、こういったメッセージは無視し、二酸化炭素の抑制や化石燃料の抑制だけを訴えている。この矛盾をうまく描いた映画に「カウスピラシー」という映画がある。


新型コロナを通して、全世界的に、反体制・進歩派と言われてきたリベラルや左派、NGOやNPOという言葉に象徴される国際援助活動や市民活動の多くが、政府による行動制限やワクチン接種は不十分だとし、より強い行動制限命令やワクチンの普及をアピールした。結果新型コロナの本当の被害は一切検証されないまま、行動制限による経済損失とワクチンによる大規模な後遺症と死亡者の存在が明らかになってきた。今まで市民の側につき、政府に逆らって市民の権利や健康を守ってきた左翼リベラルが、政府をも超えて、市民の権利や健康を奪う側に回った象徴的な出来事だ。医療や製薬会社を盲信するリベラルや市民活動、左派政党がうまく利用されたとも言えるが、思想と行動の転換という意味で全世界的に大きな出来事である。一方、市民の側にたち政府や大企業に逆らって、行動制限やワクチン接種を批判し抵抗したのは、右派と言われる保守グループや政党、支持者である。政治思想の左右の転換が起きたとわたしは思っている。


太田龍は暴力容認時代の日本共産党の党員であり熱心な活動家であったが、転向し一時は天皇制や神道など右翼思想に接近するも、それをも統合して、より進んだ環境活動家として、自然農、自然療法、菜食主義、動物実験反対、性の真実と解放などを訴えるに至った。当時は変人扱いされたが、現在はこれらの運動は非常に評価され、今後の世界を救う鍵となっている。


単純な権力批判や、一方の正義の盲信は、権力自体に逆に利用されたり、大規模な過ちに加担する結果になることが多い。自分の頭で考えると同時に、菜食など実生活でも言行一致の行動をすることによってやっと真実が見え、政府のみならず、左右両勢力、政府をも超える製薬会社などの勢力から自由となり真に動物としての人間らしい人間の生活を送れるのではないかと思う。

わたしの人生哲学に下のような4つの信念がある。

・死刑廃止

・反精神医学

・動物解放

・AV(アダルト・ヴィデオ)撲滅

 

過激と思われるかもしれないが、いろいろな人生体験をし賛成か反対か揺れながら辿り着いた結論だ。また自分だけで完結するのではなく、多くの人に事実を知らしめさせ、これから事象の実現に向けて真剣に働きかけるべきだと思っている。

 

また、これらの概念は、マスメディアが意図的に取り上げない理由で、多くの人に真相が知られておらず、そういう運動や概念があることすら知らない人がほとんどである。戦争反対、反原発、添加物危険、農薬危険、ワクチン危険とは違って、多くの人に一つの問題が提起され賛成・反対が割れているというよりは、そもそも問題があることすら知らない人が大半で。そこから丁寧に説明していくことから始めなくてはいけないという特徴もある。

 

それぞれ一冊の本が書けるほど深いテーマなので詳しく語ることはできないが、それぞれの問題について本質をざっと説明して終わる。またそれぞれに対するわたしの意見なので、同じ考えの人でも若干違う意見も存在することを付け加えておく。

 

<死刑廃止>

毎年7月に愛知県で開かれるサマーセミナーで、若い人相手に「なぜ死刑を廃止しなければならないのか?」を講演している。その時にわたしが使う「死刑を廃止すべき22の理由」を箇条書きにしたのが以下だ。今年も7月13日(土)9:30-10:50東海高等学校3階2A教室で参加費無料(予約不要)で行うので詳しく知りたい人は来てほしい。わたしの他にももう2名専門家がお話します。

 

<刑罰の残虐性>

1.刑自体が残虐であり(絞首刑)非人間的である

 

<殺人を殺人で解決する矛盾>

2.刑務官が人殺しになる

3.殺人を禁じる国家が殺人をするという矛盾

4.遺族でない人が他人の死刑を望むのはおかしい

5.「死んで当然のこと」は感情論

 

<論理的合理性がない>

6.死刑にしても被害者は帰ってこない

7.被害者の根本的なケアにならない

8.加害者にも家族があり人権がある

9.加害者の更生して、被害者を償うという機会をなくしてしまう

 

<冤罪執行を防げない問題>

10.冤罪の可能性(実際に日本でも何例もある)

11.社会的弱者が死刑囚になりやすい

 

<犯罪抑止力にならない>

12.死刑の犯罪抑止力が証明されていない

13.「死刑になリたい」から殺人の問題

14.世界も日本も殺人や犯罪は激減している(事実を報道しないマスコミ)

 

<伝統と国際情勢>

15.日本は818年から1156年まで347年間死刑の執行がなかった実績がある。殺生を禁じる仏教の影響(世界最初の死刑廃止国)

16.世界の3分の2(140か国)が死刑を行っていない

17.国連が、死刑をしないよう総会で決議している

18.日本は、国連やEUから死刑を停止するよう30年以上毎年勧告されている

 

<執行までの死刑囚の人権>

19.死刑囚は、毎日「死への恐怖」におびえている。(ここが終身刑と全くちがうところ)

20.事件から死刑確定、そして執行まで長期の拘禁になる

21.このような裁判、長期拘禁により、かえって税金がかかる

 

<自分の問題>

22.あなたも、死刑になる可能性がある

 

 

<反精神医学>

この活動がわたしにとって4つの活動の中でも中核になっている気がする。なぜなら、わたしは、「精神医学」の被害者であり、加害者であり、協力者だったからだ。わたしの著作やブログ、SNSに接している人ならご存知だと思うが、わたしは精神科にかかったために精神薬を飲まされ、人生にとっても最も重要だと思われる24才~41才までを意識がおかしいまま過ごす羽目になった。最初の「うつ病」は火事で家を喪失した自然反応であり、半年間休息するだけで治癒したものを精神科クリニックに行ったがために薬漬けで抜け出せなくなった。

 

さらに酷いことは、精神保健福祉士という国家資格まで取り、精神科クリニックや精神障がい者の作業所でスタッフとして働いたため加害者になると同時に、薬害も悪化、無為の10年を過ごすことになった。

 

そこからいかにして薬をやめ、反精神医学宣言をし、減断薬カウンセラーになったからはこの本にまとめてあるのでAmazon等で購入して欲しい。

 

著書:精神薬やめたら病気が治った: 精神医療・福祉の真実 

https://www.amazon.co.jp/dp/B08X4KYKC3/ref=cm_sw_r_cp_api_SCJX1GE5N81A896NZ4N1

 

また、この問題について死刑廃止と同様、愛知サマーセミナーでも無料で80分講演するので来て欲しい。

 

向精神薬の危険性と心の病との向き合い方

7月14日(日)9:00-10:50 東海高等学校4階3A教室

 

<動物解放>

近年、動物愛護や動物の権利といったものも注目され、動物虐待に対する罰が強化される一方、ビーガンやベジタリアン、肉は食べない、外食で肉は食べないといった「菜食志向」の人が増えている。この問題も詳しく語ると一冊の本になるので、わたしの考えていることをここに書く。

 

わたしは、戦争や環境破壊、人権侵害や奴隷的労働の根幹には、命の尊厳の無視があり、その命は人間だけの命を考えてもダメで、生物全体、生態系全体を考えなければならないと思っている。猫や犬をはじめ、野生動物や家畜動物、田畑にいる生き物、路に咲く花などあらゆる命を尊重し、できるだけこういう命を奪う破壊的行動をやめない限り、最初に書いた戦争や環境破壊、人間を雑に扱うなどの問題は解決しないと確信している。

 

動物の命を守ることは人間の命や人権を守ることにつながっている。

 

前の2つにもつながる話だが、その国の囚人や動物、障がい者の待遇を知れば、その国の文化水準がわかると言われている。この3つ、日本は諸外国の中でも最底辺レベルであるという実態を多くの日本人が知らない。

 

こういう運動をしていくということは、多くの存在の解放を進めるリベラルという側面ももちろんあるが、古き良き伝統や、日本という国のイメージや価値を高める保守にも通じることであり、政治の左右を超えた超党派的課題だと思っている。

 

動物解放>アニマルライツ(動物の権利擁護)>動物福祉(畜産動物の待遇改善)>動物愛護(犬猫などペットの命)

 

という具合で、動物寄りの姿勢が示される。

現在、多くの日本人は動物愛護止まりで、グローバルな視点から提案されているのは動物福祉。ここで終わりだと思ったら大間違い。畜産そのものが動物だけでなく人間をも不自然な食品で傷つけており、畜産や動物園など見せ物を禁止するアニマルライツ、動物解放までいって初めて動物と対等な、「人間は自然の中の一員」ということが名乗れる存在になるのだと考える。

 

また、動物実験も、単に動物が可哀想という感情論ではなく、そもそもネズミやウサギという人と全く違う構造を持つ動物を実験してもデータの価値がないという反論も多い。一つの製薬を作るのにおびただしい動物が犠牲になっており、キリスト教の一部では現在でも動物実験に反対するグループがある。昨今の新型コロナワクチンは、なぜか動物実験を経ず、いきなり人間に接種し多くの副反応や死亡者を出した。これは動物に配慮したのでは決してなく、人間を相手に様々なデータを取りたかったというのが真相で、これから明らかになっていくであろう。動物実験は無意味で、人間の生身こそ正確なデータが得られるということをそのまま証明している。

 

このあたりは長年、絶版となっていた以下の本が新装再発されたので、多くの人に読んで欲しい。

 

家畜制度全廃論序説 動物と人間は兄弟だった 太田龍 著https://amzn.asia/d/0j3S3TyG

 

なお、最後に付け加えておくが、この運動を進めていくと

「野生動物保護と言っておきながら牛や豚を食べるのか?」

「工場的家畜から生まれる卵やチーズはどうなのか?」

という意見が必ず向けられるので、わたしはビーガン(動物性のものを摂らない)であり、農業も家畜の副産物である動物性堆肥を使わない農を志向していると断っておく。

 

<AV(アダルト・ヴィデオ)撲滅>

もしかしたら、これが一番知られておらず、最も抵抗を受ける考えかもしれない。

 

今はネット・デジタルの時代になり、ビデオという媒体やDVDでさえもオンライン化しているので表現が適切でないかもしれないが、AVとは男性成人向けに作られている本、映像などのコンテンツと定義する。風俗と一括りにされる売春とはまた別の問題であり、それはここでは論議しない。

 

わたしがAVに反対するのは、女性だけでなく男性性をも傷つけるものであり、性について誤った情報を伝え、痴漢や性被害、不同意性交、女性蔑視の最大の要因であり諸悪の根源と考えるからである。またAVは少子化の原因でもあり、男女交際の大きな障壁になっていると捉える。そして性文化というものを著しく下品なものに低下させている。性=猥雑なものという概念はAVから来ていると断言する。

 

AVを観たことがある人は、少なからず感じるのではないかと思うが、これらは実際のセックスでも恋愛でもなく、性教育に1mmも貢献しておらず、愛が一切感じられず、ほとんどが性犯罪やレイプの映像である。男性の性も攻撃刺激的な側面も確かにあるので、興奮を高めたり性欲処理に大いに役立つのは事実であるが、たかがそれだけのために、かけがえのない女性性を犠牲にし、お金になるからと一大産業にする必要があるのか? 男性もAVを鵜呑みにして不自然な行為を迫り、身勝手なセックスをするので、多くの女性がエクスタシーを感じておらず、「いったふり」をしているという事実をほとんどの男性が知らない。また性交痛の悩みを抱える女性も多く、その一因がAVで盛んに行われているピストン上下運動型の行為に起因している。その恐怖から性交を断る女性も多いという。

 

そして日本の夫婦のセックスレスの割合がとうとう51%となり半数以上になった。その原因はAV型の性交しか男性がしないから女性が嫌がってという理由が多いという。少子化につながっていると思うし、男性も女性に拒まれたら大変傷つくのも事実である。ここがAVが男性をも傷つけているという理由である。

 

最近は子どもに対する性教育の重要性が叫ばれるが、文部科学省が、セックスということに一切触れない形で、グロテスクな陰茎や抗癌、膣や子宮の図を見せながら、コンドームの使い方や避妊の仕方ばかり教えるのは、ただの避妊教育であり、性というものに対しネガティヴなトラウマを植え付けるだけで、引き寄せの法則的に言えば、性被害やレイプを引き寄せているとしか言いようがない。唯物論に固執しないで、セックスはもちろん、恋愛や結婚、ひいては男女の心身の違いや役割の考察など大きくひっくるめて、初めて健全な性教育が成り立つとわたしは考える。

 

わたし自身こうしたことを全く知らず性に対して非常に辛い思いをした。こういうことを知るきっかけとなったのが以下の本であり、全人類必読の本だと思っている。

 

なぜ性の真実『セクシャルパワー』は封印され続けるのか 夏目祭子著

https://amzn.asia/d/03exF104

 

ところで2回目の東京オリンピックを控えた4年前、日本のコンビニから、いわゆるエロ本というものが一斉に姿を消したのはご存知だろうか?この時は少し報道されたが、その後継続し(表紙などそれっぽい本は置いてあるが以前のハードコアなポルノではない)現在も続いている。こういういい情報はもっと報道されるべきだと思う。

 

以上4つの概略を述べてきたが、世間に認知されていないから協力者も微々たるもので、何よりも昭和の思考に凝り固まった人間からよく攻撃を食らう。右翼左翼はこうした新しい問題を全く相手にしないし、政治家は選挙での票を恐れて(少数派なので)取り上げない。これからもこれらの問題をことあるごとに取り上げていくので、自分の頭で考えて自分の結論を持って欲しい。批判や間違っている点があれば指摘して欲しいし、賛同の気持ちになったらメッセージだけでも欲しいと思っている。

 

 

 

 

 

【mRNAレプリコンの実態を霊視!?未接種が受ける影響は?】


絶対に覚醒させるマン最新霊視 令和6年6月8日動画要約


・日本政府が治験も行っていないレプリコンワクチンを世界で初めて承認した背景には、日本の大臣と製薬会社が切っても切れない関係にあることと、過去日本人が何も考えずにワクチン接種してきたから今回も試されている。もう一つの意図は、日本が打っているのだから他の国も続けというメッセージ。しかし大部分の国民は怖がって、強制されたとしても打たない結果になるだろう。


・今回のコロナで、これ以上自分の身体に異物を入れることに抵抗感がある人は増えてくる。レプリコンワクチンが定期接種化しても打つ人は少ないが、仕事や会社での地位を考えて打つ人はいるだろう。しかし気づいている人は増えつつある。


・レプリコンワクチンを止めるには?

大規模なデモを起こせば、延期になるだろうが、彼らは別の手を使って違うものを打たせようとする。安全でないものを身体に入れる嫌悪感はできてくるはずなので、庶民の間でそこにアプローチする話題をすれば打つ人は減る。日本人相手にこんな事業をやっても無意味と相手に思わせるのが理想の展開


・ワクチンを強制的に打たせる理由は、人間の進化を止めるため。ウイルスと共存し適応してきた免疫力のアップデートを潰すため


・今は太陽エネルギーの影響でアップデートが加速していて、それは彼らの思惑と反対方向に行っている。人間がアップデートされるとたんに身体が強くなるだけでなく、勘が鋭くなるニュータイプの人間が増える。それを支配者は阻止したい


・日本の工場で安全性が確認されていないレプリコンワクチンを製造できる理由は、製薬会社は補償の免責をされているから


・自己増殖型のワクチンを打たせる理由は、将来野生動物からの感染を防ぐ際に、全頭打つのは大変だから一部に打って群れに帰せば全頭駆除できるという彼らの考え方から来ており人と動物との病気を一緒に防ぐというワンヘルスに繋がる


・レプリコンワクチンのシェディングは渋谷の交差点レベルなら影響受ける。直接打った人からの影響と未接種者のシェディングは違う。未接種が影響を受けないように自らソーシャルディスタンスを取らせるのが支配者の狙い


・レプリコンワクチンを接種した人は勝手に肉体を制御するプログラムが入るが、シェディングだけではプログラムは入ることはない


・支配者は、未接種者がシェディングを受けて「感染した」と思わせ行動を萎縮させる目的もあるので、シェディング=感染と考えてはいけない


・シェディング解毒の方法は、豊富なミネラル摂取によって有害な金属を取り込んで排出させるキレート反応がよい。わたし(あきちゃん)は重金属の排出に効果のある「希望の命水」というナチュラルミネラルウオーターを飲み、ミネラル吸収を阻害する小麦や白米、砂糖を避け七分突きのお米を食べている。味噌汁は必ず取る


・シェディングはたんに物質を受け取っているだけではなく、周波数や波動、情報的なものもあり、それに共鳴したり影響されている面もある。そしてそれらがあったとしてもあえて取り入れて心身を強くすることを身体は無意識に行っている


・免疫を鍛えるということは、自分にどんな周波数が来ても大丈夫ということ。異物をも取り入れてアップデートして適応してきたのが人間の進化の歴史


・身体はスーパーコンピュータみたいなもので常に宇宙の情報や物質に対して自動的にアップデートさせて適応するようにできている。発熱とはアップデート時の負荷


・すなわちシェディングに対しては、こちら側のアップデート力も信じて、出る症状はアップデート時の好転反応と捉えることが必要。どんなものにも対応できる自分というのが真の強さ、健康、アセンションの一つ


・シェディングを恐れて外出を自粛したり、ひきこもりになるほうが怖い


・波動が乱れた人というのは、松果体から丹田にかけての回路がグチャグチャで、トーラスもきれいなドーナツ型を描けていない人のこと。外食三昧など食生活が乱れた人や、過去の後悔や将来の不安に思考を奪われている人に多い


・なんだかんだ言ってもワクチンを打った人も適応力があれば平気だったりする。バイオハザードみたいな世の中にはならない


・シェディングの恐ろしさをあえてSNSで流すのも、支配者の思惑どおり。レプリコンによる遺伝子改造もその類


・発熱や眠さ、だるさはアップデートで心身を強くしている証だと思い、必要以上にシェディングを恐れない


※この文章は動画を元に要約したものです。正確な表現は元動画を観て判断してください。


元動画

https://www.youtube.com/live/N6mQz3EuXIU?si=NnmAXRN-5hB5ZKB5

本書は今から160年前、1860年ナイチンゲール本人によって書かれた書で、初期のほうの著作にあたる。看護師という制度を作った人物で、そういう制度ができる前の医療、薬物療法が幅を利かせていない頃の、とくにイギリスの医療・看護の状況がリアルにわかって興味深い。

わたしは最も身分の低いとされた看護という業務を徹底的に専門職として高め、医師と同じ位の地位(医院によっては医者以上か?)にまで引き上げたナイチンゲールを高く評価し尊敬している。そして歴史上の偉人は往々にして、支配者層やあっち側に尽くす人物が多いが、ナイチンゲールに関する論評や書物に触れていると、どうも現状を徹底的に批判考察し、観察と直感に基づく現場、人間の心の充足を最優先するこっち側、医療批判側の人間に思えてしょうがない。

その最たる例が、本書62ページの感染症に対する考え方である。こんにちあらゆる病原菌はどこからか持ち込まれ感染によって蔓延るとされ、病原菌は単一で不変、コレラ菌はコレラ菌、チフス菌はチフス菌でそれぞれがそれに応じた症状を引き起こすと教え込まれているが、彼女は現場の観察からそれに異を唱える。すなわち天然痘も腸チフスも不衛生で人が密集した環境で自然発生し、病気も「熟成」して他の病気に変異していくと主張する。

20世紀に入ってから、日本の千島喜久男博士が、病原菌の自然発生を顕微鏡観察によって発見し、病態の変化や赤血球の万物への変化を主張したが現代医学によって弾圧された。

昨今の新型コロナ騒動により、ワクチンや感染症、現代医学に懐疑的な人が増えて来ている。中にはウイルスは存在しない、感染症すら嘘という意見もあり鵜呑みはできないが、もう一度、医学の真相を観察、臨床ベースで再構築する時期に来ていると思う。現代医学が真実ならもっと病人が減って然るべきであり、病気の数も減少していくはずだ。

ナイチンゲールに戻そう。本書を読んで最も彼女が訴えていたのは、空気の重要性。すなわち換気である。本書は澱んだ空気こそが病気を生むとさえ読める。興味深いのは薬を使わない代替医療の世界では有名な真弓定夫医師が晩年、食事や水に加えて、空気の重要性を訴えていたことに重なる。

当時の暖房源が薪や石炭など一酸化炭素を発生させる点を差し引いても空気の重要性が健康や病人の回復に直結しているという彼女の主張は薬物療法、ワクチン一辺倒になった現代医学を見直す意味でももっともっと注目されていいと思う。

ところで、天然痘など感染症の撲滅や減少はワクチンによるものではなく、上下水道や住空間、労働環境などの向上の結果だということが盛んに言われるようになった。本書の産業革命後の労働者階級の劣悪な暮らしと病気の発生をイメージしながら考えるとさもありなん。ワクチンによって免疫力が仮についたとしても環境が劣悪なら病気は防げないと思った。

現代医学を見直す上で、非常に示唆に富んだ好著と言えよう。もはや古典ではなく最先端と言っていいのかも知れない。