ジョーダン・スピースの育ての親インタビュー | ジュニアゴルフ アジアジュニアゴルフ協会 吉岡徹治オフィシャルブログ Powered by Ameba

ジョーダン・スピースの育ての親インタビュー

アメーバ『自閉症児として生まれて来た妹の存在が大きい・・・』

 今年のマスターズを最終組で回り大会を盛り上げたのは20歳のジョーダン・
 スピース選手ですね。
 私も彼がジュニア時代から注目していて、もちろん応援してきたので嬉しいです。

 さて、彼のジュニア時代の話について育ての親のキャメロン・ンマコーミックが
 インタビューに応えていますのでご紹介しましょう!

てんとうむし詳細→Q&A with Cameron McCormick: The coach behind the phenomenal rise of Jordan Spieth

 振り返るとスピースは、タイガー以来の15歳、17歳での全米ジュニアの複数
 回優勝で注目を集め、さらにプロデビュー戦バイロンネルソンクラシックでも
 タイガーウッズもアマチュア時代予選落ちしたこの試合で、見事3アンダーで
 予選を通過して16位タイにも食い込みました。

 さらにテキサス大学に進学して1年生でNCAAチーム優勝に貢献します。

 しかし、鳴り物入りでプロ転向したもののQスクールに失敗してシードを獲得
 することが出来ませんでした・・・このへんでプロの壁かと思われたのですが
 その後のスポンサー推薦した試合で、プエルトリコ2位、タンパ7位、ハーバー
 タウン9位など徐々に実力を発揮しはじめます。


 そして、ジョンディークラシックで石川遼の優勝を彷彿させるバンカーショット
 を放ち19歳での初優勝を果たすのです。


Jordan Spieth, 19 Wins John Deere


 さらに今回のマスターズでも優勝争いを演じ2位に入りマスターズを盛り上げた
 スピースに関して、彼のコーチのインタビューを通じて彼のジュニア時代を垣間
 みる事が出来ます。

 コーチのマコーミック彼自身はプロとしては活躍出来ませんた。「コーチもなし
 で自分一人で練習するのには限界があった。」と話す彼はその後テキサスのクラブ
 でレッスンをしながら地道にキャリアを磨きます。

 地元の高校生をゴルフを教え始めてその評判を聞いたスピースの父親から一度息子
 を見て欲しいと連絡が入りました。当時12歳になるスピースは、自己流のゴルフで
 ちょっとしたグループレッスン以外は、ほとんど人に教わった事がないようでした。

 2005年の7月に初めてスピースに会ったのですが、そのとき「この間の試合で62で
 ラウンド したんだ!」と話してくれましたね。ちょっとしたテストを思いついて
 
「すべてのこのショートコース(9H)をpar2でプレーしてごらん!?21以下の
 3オーバーでラウンドしたら帽子を買って上げるよ!」

 とゲームを提案したのですが、彼(ジョーダン)は、見事2オーバーでラウンドして
 帽子をゲットしました。笑

「私は、この素晴らしい才能をどう指導するか悩みました。指導して才能を潰しスコア
 が出なくなり才能を潰す可能性もあったからです。悩んだ私は、メンターに相談し
 ました。」彼は

「どう指導しようと信念をもって指導すれば大丈夫だ。そうすればついて子どもも親も
 君に付いて来てくれるはず。」

 というアドバイスをしてくれました。

てんとうむし詳細→Cameron McCormick coach's teenager spieth PGA tour History

 その後、目指すスイングやパッティングに手を加えながら彼をレッスンしていきま
 した。

「例えば、彼は普通のグリップでパッティングをしていたのですが、右肩を落として
 さらに肩のラインが左を向いて開く癖がありました。なのでボールをまっすぐ転が
 すには、フェースを開いて合わせる必要があったのです。結果的にボールのスピー
 ドが安定しませんでした。」

「これはいろいろ修正しようとしたのですが、上手くいかずに最終的に彼がクロスハ
 ンドを試したいと言って来てそうしたら、ようやくアライメントやアドレスがしっ
 くりくるようになったのです。」

「スイングに関しても極端なウィークグリップで、テイクバックでループを描くよう
 にクラブを上げて、プッシュドローのようなボールを打っていた当時のジョーダン
 に7番アイアンを持たせて、低いボールを打つドリルを繰り返してスイングを修正し
 ていきました。」

「また、私たちは10ボールドリルを試合前によくやりました。それは、ドライバー
 ハイブリッド、5番、7番、9番を10球ずつターゲットに向けて打つドリルです。
 (9番アイアンは10球中9球は10ヤード以内に落とせるようになりました。)
 その練習のお陰でジョーダンは、テクニックよりもボールコントロールやターゲッ
 トに向かうようにもなりました。」

「トレーニングに関しては、彼の体の成長を待たなければなりませんでしたね。
 ちょうど15歳で全米ジュニアを勝てたのですがその翌年の冬からトレーニングを
 始めました。そして体もだんだん出来ていって距離も伸びて来ました。」

 では、もっと小さい頃の彼は、例えば3歳くらいの時はどうだったのか?

「3歳の頃の彼ははプラスチックのクラブでボールを打つ事が好きだったようです。
 両親は、どこでもゴルフで遊べるようにしてあげたみたいですね。例えばトイレ
 に行く時もクラブを持っていくくらいだったようです。そして日が暮れるまで
 ゴルフクラブでボールを打って遊ぶ子だったようです。」

 最後に・・・20歳らしからぬ落ち着いたプレーをするジョーダンについてその
 忍耐と精神力はどうやって身につけたのか?

「それには自閉症児(autism)として生まれて来た13歳になる妹”エリー”の存在が
 大きいようです。」

「今でもエリーを世話するのに彼も含めて家族は忍耐強く彼女と接しているようで
 それにはどんなゴルフトーナメントに出場するよりも心が鍛えるように思えます」

「妹の存在なしてはジョーダンの人間性はここまで育っていません。」

 と家族と妹の存在の大きさを話しています。
 
 マスターズで優勝争いしながらジョーダンは、不遇に生まれて来た妹のことを思っ
 ていたのかも知れませんね。

てんとうむし詳細→Spieth, 20, strives for normalcy as star status rises