絶望は理想があったからこそ | 残念おじさんの不器用な挑戦

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千葉県市川市に住んでいます。独身で母上と3匹のチワワと生活しています。守りのITから攻めのITを探求しています。人生を楽しみたいおじさんです。気楽にご意見をください。
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私は

理想を持ち続けてきた。

挑戦をし続けた。

 

その間に間違えもたくさん犯した。

自分が優秀だとお持った。

他人を見下した。

 

絶望を感じ続けて、何度も自分を反省した。

自分の理想は、

人を傷つけたいわけではない

人を馬鹿にしたいわけではない、

自分の賢さを見せたいわけではない、

自分はえらくなりたいわけではない。

 

ただ現状をよりよくしたかった。

 

それを確認した後も、何度も失敗した。

他人に勝手に期待して、絶望して

自分が認めてもらえないことに、勝手に絶望して、

自分の人生に絶望していた。

 

しかしどこかに別の考え方があった。

自分は完璧ではない。

自分は、もっと正しい考え方ができ、ふるまうことができる。

自分は、まだまだ成長することができる。

自分の心の持ち方が一番大事だ。

 

私の絶望は、勝手に他人に、周りに期待して、

自分を一段高見において感じていたこと。

 

自分の我から生じる欲望ではなく、

理想と絶望の積み重ねから生まれ、我を優先しない、他者への提案を継続すること。

自分の利益の前に、我を優先しない、周りをよくする提案=知恵

理想と絶望を繰り返し、よりよくなる気持ちを捨てない。

 

昔とは考え方が変わった。

皆で何かをやろうとする気持ちはなくなった。

自分の考えを押し付けない。

全ては提案。

 

他人は、私と同様、一人一人が人権を持つ。

努力をしなくてもよい。

食べること、話すこと、コンテンツを味わうことを楽しんでもよい。

 

もしよりよい自分、社会を作りたいと思ったときに、

より良い提案ができるように自分を磨きたい。

 

人が同意してくれなくても構わない。

自分の知恵、自分の内面に自信があるなら、自分を貫けばよい。

 

何かを諦めたわけではない。

何かに期待しているわけではない。

しかし楽観、悲観、肯定、否定ではなく、

慈悲*知恵を持つことで中道を歩めるのではないかと思っている。

 

挑戦に対して、

悪口をいわれても、

見下されても、

誰も同意してくれなくても、

絶望しなくてよい。

 

理想の高さと絶望の深さも能力の一つで、

あるレベルを超えると、

必ず人の役にたつ経験を持つことができると最近感じている。

 

私は、不思議なことに

理想が敗れ、

絶望が一時私を支配しても

よりよい何かを目指すことができる。

まぁ私なんぞまだまだです。