私は
理想を持ち続けてきた。
挑戦をし続けた。
その間に間違えもたくさん犯した。
自分が優秀だとお持った。
他人を見下した。
絶望を感じ続けて、何度も自分を反省した。
自分の理想は、
人を傷つけたいわけではない
人を馬鹿にしたいわけではない、
自分の賢さを見せたいわけではない、
自分はえらくなりたいわけではない。
ただ現状をよりよくしたかった。
それを確認した後も、何度も失敗した。
他人に勝手に期待して、絶望して
自分が認めてもらえないことに、勝手に絶望して、
自分の人生に絶望していた。
しかしどこかに別の考え方があった。
自分は完璧ではない。
自分は、もっと正しい考え方ができ、ふるまうことができる。
自分は、まだまだ成長することができる。
自分の心の持ち方が一番大事だ。
私の絶望は、勝手に他人に、周りに期待して、
自分を一段高見において感じていたこと。
自分の我から生じる欲望ではなく、
理想と絶望の積み重ねから生まれ、我を優先しない、他者への提案を継続すること。
自分の利益の前に、我を優先しない、周りをよくする提案=知恵
理想と絶望を繰り返し、よりよくなる気持ちを捨てない。
昔とは考え方が変わった。
皆で何かをやろうとする気持ちはなくなった。
自分の考えを押し付けない。
全ては提案。
他人は、私と同様、一人一人が人権を持つ。
努力をしなくてもよい。
食べること、話すこと、コンテンツを味わうことを楽しんでもよい。
もしよりよい自分、社会を作りたいと思ったときに、
より良い提案ができるように自分を磨きたい。
人が同意してくれなくても構わない。
自分の知恵、自分の内面に自信があるなら、自分を貫けばよい。
何かを諦めたわけではない。
何かに期待しているわけではない。
しかし楽観、悲観、肯定、否定ではなく、
慈悲*知恵を持つことで中道を歩めるのではないかと思っている。
挑戦に対して、
悪口をいわれても、
見下されても、
誰も同意してくれなくても、
絶望しなくてよい。
理想の高さと絶望の深さも能力の一つで、
あるレベルを超えると、
必ず人の役にたつ経験を持つことができると最近感じている。
私は、不思議なことに
理想が敗れ、
絶望が一時私を支配しても
よりよい何かを目指すことができる。
まぁ私なんぞまだまだです。