この2つのことわざは、どちらも人生というのは良いことと良くないことが交互に起こりますよ、と言っています。

おそらくみなさんもそういう経験がおありだと思うのですが、いかがでしょうか?

 

自分には「意識と意志」があると思ってそれをコントロールしている人は、ほとんどいません。

要するに、人の意識と意志というのは、通常為されるがままなんですね。

 

人は良いことがあると、ものすごく喜んでつい有頂天になるわけです。

逆に悪いことがあると、落ち込んだり悲しんだり人のせいにしたりするわけです。

 

人生って放っておくとこのように、まるでシーソーのようにギッタンバッコンと上に行ったり下に行ったりするんですね。

それは、上も下もどちらも体験しなければわからないから、人は体験するようになっているのです。

 

こういう人生がおかしいと気づいて嫌になってきたら、初めて人は中庸の人生に移行していくわけです。

中庸の人生のことは、私のブログ「みなさん、中庸の生き方って何でしょうか?」に記しました。

 

 

宇宙は対比の仕組みになっています。

光と闇、上と下、男と女、この世とあの世、生と死、プラスとマイナス、肉体と精神、自分と他人、・・

 

中庸の生き方というのは、このどちらにも振れない、シーソーで言えば、ギッタンバッコンしないで板が水平に保たれている状態のことです。

 

つまり、良いことがあっても喜ばないし嬉しいとも思わない、逆に良くないことがあっても悲しまないし落ち込まない、ということなんです。

ことばをかえると、有頂天になることと人を責めることをやめることなんですね。

 

私がこういうことを言いますと、必ず「そんなの、人間的では無い」と言われます。

 

そう、その通りなんです。

中庸に生きる とは、人間的では無くなることに他なりません。

 

人間的ではないって、一体どういう生き方なの? と思われるかもしれませんが、それは人間を霊的な視点で見れば分かります。

霊的な視点って、宇宙の方から見るということです。

 

霊的な視点で見ると、人間は肉体と霊と魂の3つに分かれます。

肉体と霊魂は対比するものです。

肉体の世界と霊魂の世界は違います。

実を言いますと、人間はこの二つの世界に同時に生きているのです。

肉体は物質なので目で見えますが、霊魂は非物質なので目では見ることができません。

それで霊魂の世界のことはよくわからないでいるのです。

 

ところで、みなさん自身の生命というのは、果たして肉体と霊魂のどちらなのでしょうか?

みなさんの意識のシーソーというのは、ほとんど肉体が重たくて、霊魂は軽いのではないでしょうか。

 

これでは人生は「禍福」が繰り返されることになります。

肉体の方に傾くと、自動的に霊魂の方に傾けようとする力が働くのです。

その度ごとに、シーソーは上に行ったり下に行ったりするのです。

 

地震があると放送で「みなさん、命を守ってください」と叫んでいますが、この命って肉体のことを指していますよね。

それから生命保険って、肉体の保険のことですよね。

このように、人々の生命に対する認識は、まだ肉体にあるんですね。

 

これは意識の問題なのです。

霊魂こそが生命である、という意識が出てくることで、人はようやく「禍福」を繰り返す人生から「禍福」の無い人生に移行する準備が整うのです。

 

私は以前は、良いことがあると心がどうしても喜んでしまいました。

そういう時に思うのは「あー、また喜んで有頂天になっている自分がいる」ということでした。

しかし、自分の意識が変わるにつれて、どんなに良いことがあっても段々と喜ぶことがなくなってきました。

すると逆に良くないことが起こっても、慌てることも悲しむことも落ち込むことも、なくなってきたのです。

 

「人間は霊魂である」「生命とは霊魂のことである」ということが自分の腑に落ちるまでには時間がかかります。

みなさん、どんなに時間がかかっても大丈夫ですよ。

みなさんの人生は死後も続いていくのですから、何も慌てる必要はないのです。

時間は永遠にあります。

 

ところで、私は感情がない訳ではありません。

それどころか、映画やドキュメンタリーを見ては1人で涙を流し、よく鼻をかんでおります。

 

人は本当に反省すると、目からではなく鼻から涙が出てくるそうです。

私は毎日、反省の連続なのかもしれません。

 

自分が遊びたいとか楽をしたいとかを考えない人生って、皆さん想像できますか?

 

そういう心を捨てていくって、これまさに魂の修行だと思います。

でもそうしないと人生のシーソーはギッタンバッコンし続けることになるんですね。

 

不思議ですけど、楽を捨てていけば、苦がなくなっていくんですね。

苦楽って、どちらか一方だけ欲しいということが出来ないんですね。

必ず両方くっついてくるんです。

 

答えは簡単です。

両方無くしていけば良いのです。

 

楽がなくなれば苦がなくなり、苦がなくなれば楽もなくなります。

 

楽しいことが一つもなくなれば、苦しいことも一つもなくなります。

誘惑に勝つしかありません。

魂が精神をコントロールし、精神が心をコントロールできるように自分の魂を鍛えていくしかありません。

 

魂はどうすれば成長するのか?

それは自分の目の前に起こることから逃げないで、他人のせいにしないで、相撲で言えばがっぷり四つになって最善を尽くすしかありません。

そのことによって、魂は成長するように造られています。

 

逃げないことです。

他人のせいにしないことです。

 

偶然は一つもありません。

すべて魂を成長させるために起きていることです。

 

魂が成長・進化すれば、霊という生命エネルギーがより働きを活発にします。

それが肉体に反映し、環境に反映します。

 

魂が成長するにつれて、どんなことも受け入れられるようになってきます。

なぜならば魂が成長すればするほど、楽になっていくからです。

 

不思議ですよね、楽になりたいとか、楽しいことをしたいとか、思わなくなればなるほど自分が楽になっていく、本当に不思議だと思います。

これは精神的にも、物理的にも楽になっていくということです。